6月歌舞伎座公演のお稽古も ただ今 順調に進んでおります。

私の出番はまたまた、一番最初の「渡海屋」で終わってしまいますが、
3部制とは云え、古典丸本歌舞伎の 通し狂言『義経千本桜』 
 
それも『渡海屋 舟矢倉 大物浦』の演目に出演致しますのは、
私 久しぶりです。

それに私、6月の歌舞伎座公演に出演すること自体 初めてです。(笑)

今まで6月と云いますと、名古屋の中日劇場か 他の地方都市の
劇場での出演が多かったように思います。


どうしても、この数日の暑さや過ごしにくさ、今までの感覚で、
来月は6月ではなく、7月のような気持がして・・・と云うよりも
すっかりと 7月の気分で その季節感を 思い込んでおりました。

その感覚のままで お稽古初日。
楽屋を作って、周りを見渡しますと みな一重の着物を着ております。
7月のお稽古だと すっかり思い込んでおりました私は 浴衣を持って来ており
「みんな、すごいなあ・・・」と思っておりましたら・・・

(本来は、6月のお稽古は一重、7月のお稽古は「無礼講」のお触れが出まして
 浴衣になることが 多いのです)

・・・

まだ6月のお稽古、暦の上では5月でした(笑)
まだ、衣替え前でした。

ああ・・・長年しみついた、暑い歌舞伎座のお稽古は 7月と云う感覚が
すっかり邪魔をしてしまいました(笑)

大慌てで 次のお稽古には一重を準備して 一重でのぞみましたが・・・
実際は浴衣でのお稽古の方も多く、変な気苦労と焦りを体験しただけでした(笑)


不思議な感覚での 6月のお稽古です。


それに『渡海屋 舟矢倉 大物浦』にも数えきれないくらい
出させて頂いておりますが、一番最初は 大物浦の軍兵の追廻し。
そして舟矢倉の官女のひとり、その後 名題になってからは
四天王の亀井六郎が多かったです。

従いまして、今回の船頭 実は知盛の手下は これも初めてです。

この年になりましても、何回も出ている演目さえ 初役と云うのが
珍しい事ですね。(笑)

この『義経千本桜 渡海屋 大物浦』の新中納言 平知盛のお役は 
狐忠信 いがみの権太と、並んで猿翁旦那が最も得意とされた演目。

その勇壮な旦那の知盛は 私 大好きでした。

1985年 5.6月 初めて海外に連れて行って下さった
『義経千本桜』での公演 Aプロ Bプロで『知盛編 忠信編』を
交互に編纂しなおしたお芝居でした。
 
その時に海外で最初に降り立った場所が、イタリアのベニス。
上演しました劇場もイタリアで一番古い ベニスの劇場でした。

振り返るといろんな思い出が詰まって居る演目です。

正直、知盛なんて外国で受ける? 忠信編は見た目に派手ですし
狐忠信の早変わりや 蔵王堂の大立ち回りなど 見せ場がふんだんに
ございます。 

知盛はな~?と 思いましたら、イギリスやフランスでは、
負け戦と分かっていても、名誉のために出陣する知盛の精神が 
イギリスの騎士道(ナイト)やフランスの銃士に符合する!と
大絶賛でした! 

言葉は通じなくても 心はどこの国でも同じなのだなあ~と
歌舞伎は世界に通用する芸術なんだ!とその時に 実感した次第です。

こんな思い出の多いお芝居に 今度は染五郎さんの知盛と一緒に
花道を入らせて頂きます。

そして猿之助さんのお柳 実は典侍の局 右近さんの相模の五郎
右近さんの一子 タケルくんの安徳帝 猿弥さんの武蔵坊弁慶!等々

高麗屋と澤瀉屋ががっちり手を組んだ第一部『碇知盛編』

これからのお稽古と初日が 大変楽しみです(笑)