今日は、松竹座『ワンピース』1回公演。 
2回公演の時とは違い、終演後 表に出てもまだ明るいです。(笑)

松竹座の楽屋は、一部を覗いて窓がないために 晴れているのか?雨なのか?も
わかりません でも表に出て 雨が降っておらず明るいと 
ずいぶん得した気分になります。(笑)

先日の、10日のお休みはありがたかったのですが、前の日までが2回公演2日間。

休日明けが2回公演2日間で、お休みの一旦緩んだ気持ちを 
もう一度立て直すのは やはり辛かったです。(笑)

そう云った意味で 今日の1回公演は、気持ちが楽になりました。


早い時間になんばをウロウロ、と云っても 心斎橋 戎橋筋 道頓堀、
どこもかしこも、デモ行進の様なノロノロ歩きで 追い越すこともできず
飛び交う言葉は理解できず 日本人の方が 少ないくらい・・・。
ここはどこ?(笑)

早々に、一旦ホテルに引き上げましたが その途中 なんばで撮った写真です。

イメージ 1


御堂筋沿いなのですが どこかわかりますでしょうか?

角度を変えると・・

イメージ 2


高島屋の左北側 マルイ(その昔は映画館だった南街劇場)の横

かって、ここにあったのは≪大阪新歌舞伎座≫
鳳凰を模った桃山造りの屋根が御堂筋を 見下ろしておりました。

1958年10月に開館され、2009年6月に閉館されるまで、
およそ50年間。


関西歌舞伎、華やかなりし頃は ここで『仮名手本忠臣蔵』が上演され
その時には まねきも上がり 綺羅星の如く並んでいた上方役者たち。

その後は、関西歌舞伎の中心は 中座に舞台を移しましたが 
それでも二代目鴈治郎さんや 十三代目仁左衛門さんを頭に 
延若さんや 藤十郎(扇雀)さん等々で上方の『仮名手本忠臣蔵』の上演が
まだ可能でした。


なんばの新歌舞伎座は歌手のお芝居などが 主流に代わりましたが、
それでも三代目猿之助(二代目猿翁)さんの歌舞伎だけは 
毎年上演されたくらい 頻繁に公演があったのです。

私、猿三郎が初めて猿翁旦那にお会いしたのも、私が19歳の時の新歌舞伎座。
先日の 三久太郎さんや喜美介さんなどよりも、さらに若い時でした(笑)

藤十郎(扇雀)さんと猿翁旦那との昼の部『熊谷陣屋』『紅葉狩』『小鍛冶』
夜の部『博多小女郎浪枕』『艶姿女舞衣(酒屋)』『四の切』と 
お互いが体力的にも大変な 5本と5本に出演の責任興行舞台。 
遠い昔ですね(笑)

その猿之助歌舞伎公演も1995年2月を最後となり 
それ以後の歌舞伎公演は皆無となりました。

そんな大阪新歌舞伎座の公演が 老朽化移転のためにここでの公演は
2009年6月を最後に終わりました。


新しい新歌舞伎座は皆様ご存知の 上本町6丁目に出来上がりましたが、
その公演が始まっても 正直 なんばの新歌舞伎座は取り壊される事もなく
7年近くもその姿を 御堂筋にさらしておりました。


大阪を訪れるたびに、まだ壊さないのなら、とりあえずの公演を
続けていればよかったのに・・。と 何回も思いましたが、
今月 その姿が消えた事を知りますと、「あぁ いよいよ 取り壊されたか~ 」
と 寂しくもありました。

かって1月は当時の三之助(菊之助・・現菊五郎 辰之助 新之助・・團十郎)
公演などもあり 5月は緑の顔見世と呼ばれておりました。 
大阪でも毎年 いわゆる顔見世歌舞伎公演がありました。

その他に2月は猿之助奮闘公演があり、阪神大震災の次の月には 
神戸近辺に お住まいの方は猿翁旦那のご配慮で 
無料でご観劇ご入場頂いた事もございました。

思いで深き新歌舞伎座。 

今や名古屋の御園座 中日劇場も閉鎖。 
今年は京都南座も急遽 耐震工事のために 閉鎖される予定で
顔見世興行にも影響が・・・。


大阪松竹座は現在『ワンピース』で、毎日満員御礼の中ですが 
時代が流れ 各劇場が閉鎖 取り壊しのつづくことは 本当に寂しい事です。


座とは、人が集まるところ そして権力者などに金銭を払う代わりに、
営業や販売の独占権などの特権を認められたもの。
それが芝居小屋などにも影響しておりました。

その座が、今や劇場と名を変え 座のひとつひとつが無くなって行くのが 
時代を繁栄しているように思えます。

劇場と座の違い、これらも これからの課題かも知れませんね。