『元禄港歌』は、初演が1980年と云いますから もう36年も前。

歌舞伎は400年の歴史はございますが、それはあくまでも
江戸時代から伝わっている 古典歌舞伎の事。

スーパー歌舞伎『ヤマトタケル』の初演は、1986年ですから
『元禄港歌』それよりも、古典と云う事になりますね(笑)

ましてスーパー歌舞伎セカンド『ワンピース』は、昨年初演ですから 
もしこの後36年後に 再演されるとしたら、ルフィや、麦わらの一味は 
誰が演じているでしょうか?(笑)


『ヤマトタケル』と『ワンピース』の明確な違いは、主題曲。

もちろん『ヤマトタケル』にも主題曲はございましたが、
主題歌、と云うものは ありませんでした。

『ワンピース』には、ゆずの北川悠仁さんが作詞、作曲した
『TETOTE』がございます。 

この違いは大きいです。

歌舞伎の『ワンピース』と云う作品を思い出す時、歌える訳です。

曲だけですと、何らかの方法で テーマ曲を聞かないと 
その場面のイメージが沸いて参りません

主題歌があると なんとなく口ずさむだけで、その雰囲気が
味わえます。

もっとも 覚えていれば・・・の話ですが(笑)

きっと、覚えておられる方は たくさんおられる事でしょう。
私もようやく口をついてメロディーが出てこなくなったのですが、
また3月からは どっぷりになってしまいますことでしょう。


『元禄港歌』も歌と云うくらいですから、もちろん主題歌がございます。
それも歌っておられるのは 昭和の歌姫 美空ひばりさん

昨日 ある方のコメントにもございましたが、この作品 
ひばりさんの歌がなくては 成り立ちません


初演時に、このお芝居のために 原作者 秋元松代さんが作詞
猪俣公章さんが作曲され ひばりさんが 劇中歌として歌われたのです。


ひばりさんと 猿之助さんの繋がりは、1985年の歌舞伎座。
『雙生隅田川(ふたごすみだがわ)』の時でした。 
猿之助さん9歳。


この時、ある日 客席で、美空ひばりさんがご覧になっておられました。

私はその事を全く知らずに 舞台に立っておりました。 

はっきりとは覚えておりませんが、それほど前の席ではございません。
そうですね・・・前から8列目か10列目くらいのところ、
通路横に普通に座っておられる方が 客席で、ものすごいオーラを 放っておられ 
舞台上の私にもそのオーラが 伝わってまいりました。

私、思わず「え? あれ誰や?」と
舞台上で独り言を つぶやいておりましたのを覚えております。

そんな派手な服装をされている訳でもなく ご覧になっている席番も知らず
歌舞伎座の客席 2000人近いお客様の中で 舞台上で「あ!ひばりさんだ!」と
わかりますのに それほど 時間もかかりませんでした。


私としましては、若いころから 今日はどなたが来られている、とかの情報でも 
正直 ほとんど客席は見ませんし 気に致しません。
せいぜい分かるのは カーテンコールなどの 客席が明るくなった時くらいです。

お芝居の最中 舞台上でそう云った気持ちが入ると 舞台に専念できないと云う
考え方ですので ほとんど、客席には注意を払いませんが ひばりさんだけは
それらを払い捨てるくらいの オーラがあったのは間違いありませんでした。(笑)  


その公演の時にその後、楽屋に来られ ひばりさんは子役の猿之助さんに泣かされた!
と云うお話を されていたそうです。

その時に猿之助さんはいつか このひばりさんが主題歌を歌われている
『元禄港歌』に出てみたい!と 決意されていたとか・・・。
恐るべし9歳の子役!(笑)


著作権の関係もありますし ここで歌詞はご紹介できませんが、
『元禄港歌』と『流れ人』の2曲。

シアター・コクーンでは今でもひばりさんが 色褪せずに歌っておられ 
そのお芝居に私も毎日 出演させて頂いている光栄さを感じます。


特に『流れ人』は 先日の歌舞伎や瞽女唄の『葛の葉』、謡の『百万』にも匹敵する、
母と子の物語を代弁している歌詞に 涙なくては聞かれないでしょう。


パンフにも書かれてございますが、ひばりさん レコーディングの2週間前から
この2曲の歌を自分ながらに練習され、当日は 感極まっての涙を流されながらの
レコーディングで1発OKだったそうです。

パンフを読んでいて 歌に賭けられる執念みたいなのを感じました。


同室の段之さんは、ひばりさんが その30年ほど前の歌舞伎座の楽屋に
来られた時にサインを頂き お話をした、とかですが 私は逆に 
ひばりさんが、あまりにも偉大過ぎて 言葉もかけられませんでした(笑)

後年、その事をどれだけ悔しく思ったことか!!!(笑)

今日は、遠い昔の思い出を書かせて頂きました。