今日は久しぶりに 女子バレー ワールドカップ 対ドミニカ戦の放送にはまり
ブログアップが遅くなりました。 フルセットの末に勝利してよかったです。(笑)

最後は木村キャプテンが控えに回り 若手ばかりが活躍して見ていて本当に頼もしいですね!!

連日の活躍、なでしこ同様見られる限りは見たいと思います女子バレーです。



『新・水滸伝』も2回公演 連続2日がやっと終わり ホッとした次第です。
公演回数も片手を割り ここまで来れば・・・。(笑)



さあ今日のブログ 昨日の続きからですが ここでも若手の活躍のお話です。

猿翁旦那(三代目猿之助当時)がある時期 自分の一座を持ちたいと、
強く願われ始めた そんな時代のお話から 入りましょう。

今から およそ35年~40年前のお話だと思ってください。


色々な立ち回りや何やかやを ほかの一門の 若手を借りつつ上演した
数々の演目。

ですが、昨日も書きました通り、そういう形態での公演は なかなか再演が
ままなりません。

そこで、一座を。。。と云う流れになるのです。


そんな時代、少しずつ少しずつ 猿翁旦那のもとに若手が集い始め
お弟子さんも多くなり これまで古典の復活狂言やスーパー歌舞伎等
色んな事が可能になってまいりました。

恐らく、その時代を目の当たりにされておりますお客様は 
今では多くはないでしょうが その流れの元に、今の私たちがあり、
今月の舞台があるというのは 皆様 周知の事実です。



私もその当時 関西に居ながらも 猿翁旦那の奮闘公演には数多く出演させて頂きました。

おもだかや一門となってからも 当時の「菊五郎劇団」の立ち回り軍団に
追いつけ 追い越せが合言葉で よく頑張ってきたと思います。


おもだかや一門、猿之助歌舞伎の歴史は、なんとなく一致しておりますのはうれしい事。


その黎明期は 正直私は 別の一門として 関わったり 関わらなかったり。

そこから あたかも梁山泊の様に 色々な仲間がはせ参じて??寄り集まって参りました。


私の20代が第一期として 猿翁旦那の奮闘公演 古典復活狂言 スーパー歌舞伎
手探り状態ですが、なんとなくの「人」が集結して行った時代であるとすれば 

30代、第二期が若手育成上昇時代。
たくさんの 私と同世代、ちょっと後輩の世代が 切磋琢磨しながら生きて参りました。

その時の同輩、後輩数多くおりましたが、残念ながら、廃業したもの、鬼籍に入ったもの。
気が付きますと、大先輩であります寿猿さんは別格として、この当時の顔ぶれは
私と欣弥さんしか残っておりません。

そして40代第3期には、部屋子さんたち大活躍。
このあたりの時代は ご存知の方も 多くなってくるのではないでしょうか?
「二十一世紀歌舞伎組」と云うものが形成されまして、小劇場系ではありましたが、
おもだかや一門の若手だけでの一か月公演と云う 快挙がなされた時代でもありました。


そして50代4期は 思いがけない旦那病床時代となり 
若手と云われてきた人たちが 各自独立時代でしょうか?

菊五郎劇団や他の一門とは別に 敵対関係にある訳ではありませんが、
追いつけ追い越せは まさに今月の梁山泊。

そう云った意味で 若い者たちが集いあういい集団となった訳です。



それも、今や最若手に居た部屋子さんたち 林冲を勤める右近さんも
円熟の年に入り 私はすでに老兵(笑)

ですが昨日も書かせて頂きましたが ここに来て わがおもだかや梁山泊に
新たな若手たちが加わりました事は 私の20代の頃のようにうれしい事です。


そして今回 最後の場面に朝廷軍を抜け出して 元師匠であった林冲の元 梁山泊へ訪ね来て
ともに生きていく決意をする若者ふたりが好演しております。

このお役は前回までは横内先生主催の劇団 扉座のメンバー3人が
演じておりましたが、今回は喜楽さんと 同期の喜美介さんが勤めております。


イメージ 1


喜美介さんは幕開き 皇帝役も勤めておりますがこのお役 ある意味
時代背景と晁蓋の語り後ろでのシルエットですので、ほとんど見えないかも知れません(笑)

このあたりは、開演前のご挨拶に 喜美介さんの回に当たられた方だけが、
じっくり見れるわけなのですが・・・

ブログで、ちょっとだけサービスショットです。




この喜美介さんと、昨日の喜楽さん。
大詰め 林冲に心酔する朝廷軍の若者の「お役」 張清と韓トウを勤めております。

二人はまさに おもだかや一門を目指す若者に投影致します。


かっては私の若き頃 追いつけ追い越せだった一門が 時代の流れとともに
私のように老朽化してきましたが ここへ来て新たな若者たちが 
この梁山泊的おもだかやへ加わり 頼もしい限りです

私たちの時代が決して「悪人」だったわけではございませんが、時代的には
「アウトロー」とされていたかもしれないというのは 否定できません。

ですが、その私たちの作った道を 引き継いでいってくれる若者の存在は
何よりの力になります、嬉しいものです。

彼達の行く末を私も眺めながら、ともに行きたいものです。