私が19歳から20歳頃(ずいぶん昔ですね・・笑)、ちょうど歌舞伎に 携わり始めた頃ですが、
歌舞伎界には大御所と呼ばれる方々が たくさん居られ 当時 八大幹部。

その下に中堅、花形もたくさん居られ そして名題下 
立ち回りの若手たちも、菊五郎劇団と呼ばれる中には
綺羅星の如く 多く居ました。

それでも 今の感覚から行けば 体制的な歌舞伎界でしたでしょうか。

この当時猿翁旦那33歳。おもだかや一門も未だ影も形もなく、
猿翁旦那が『猿之助奮闘公演』として歌舞伎を上演されるときには、
他の劇団の若手を借りて来ての公演が多くありました。

しかし、そうなりますとひと月 当たったからと云って 再演時に
その同じメンバーがふたたび 来てくれるか という保証はなく
それぞれが ご主人の出番のある劇場に出演してしまう事になります。

地方の公演や再演で同じものができない、必ず当たるというのに
上演できないと云う口惜しさは計り知れません

この時、猿翁旦那が自分の一座を持ちたいと、強く思い願われていました。


このあたりの詳しいことは 明日に。。。

ですが、それから四十年。かっての若手はもうすでに。。。。

みんなが、年月に応じて年を取りましたので、かってのは若手でした我々も、
平均年齢もどんどん上昇しておりました



ここに来て わが おもだかや、梁山泊に新たな若手たちが加わりました事は
うれしい事です。

その一人が先日 初日あたりでご紹介しました猿珠さん

そして今日ご紹介する 喜楽さん 
この二人は春猿さんのお弟子さんたちです。

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この写真は幕開き 林冲の首を落とそうとする役人の扮装ですが、
彼は立ち回りなどでは朝廷軍にも扮し 私 宋江にも 絡んでくれたりしております。

番付をご覧頂けると 何役も勤めている事がお分かりいただけると思うのですが、
早拵え早拵えの連続で その合間を縫ってご主人春猿さんのご用事を勤めております。

これは以前 私も猿翁旦那の下で 勤めて参りました、歌舞伎界のシステムの若手の定め・・・。

ですが、彼らは同時に役も勤めております。

もう一役は。。。こちらは明日にご紹介いたします。


猿翁旦那の病気での舞台休演が続きます中で、一門が先細りすることなく、
ここに来ましての 続いての若手の台頭は、うれしい限りですね。

若手に負けずに 後4日おじさんパワーで頑張りたいと思います。