今日は思いついたままのコラムです。

今日は8月15日、敗戦? 終戦?。 戦後70年の記念日です。


私は戦後 昭和20年代に生まれました。

太平洋戦争が終わってから生れ、戦争を知らないままに育ちましたが、
私が生まれて育ったころには 街々にまだ戦争の爪痕とも云うべき姿が 
たくさんありました。

そのひとつが、白い着物を着て 傷ついた体で街角に多く居られ 
寄付をお願いしていた傷痍軍人さん

子供心に父にあの人たち何? と聞き 父から「戦争で負傷した人たちだよ」と云う答えに
「戦争っていやだ!」 と云う感情が沸いて来て居ました。
戦争を体験しておりませんが、戦争を感じる子供時代を 過ごした世代であると思います。


ですが私たちの年代『戦争を知らない子供たち』と云う歌もはやり 戦前の教育と
一線を画して なにか違う感覚の世代と云う印象だったのだそうです。

そういう 狭間の時を生きていた私たち。


でも今では もう戦争を知らない人たちがほとんど。
この世の中、私より後に生まれた人は、爪痕すら知らない人たちばかりです。




敗戦 いわゆる負け戦。


今月の『新・水滸伝』の宋江の考え方から紐解くと 私の想像ではありますが、
宋江はおそらく 梁山泊に来るまでの戦いは 負け戦ばかりだったのでしょう。

ですから相手の強さを知り、強さを理解することが出来たのでしょう。 

朝廷軍に対しても 「逃げるっかないでしょ!」とか 
相手がわからない時には「退却しましょう!」とか・・・。(笑) 


策略にはまった王英 お夜叉 林冲たち三人を 姫虎たちが助けに行こうと
云い始めたとき、「気持ちはわかるが はやまるな!」と 押しとどめます。

これは、「血気に逸って戦った時には必ず負ける!」と 宋江には
わかっていたからなのではないでしょうか?


結局は梁山泊全員で 助けに行くことになりますが、
ここで宋江が一旦 手綱を引き締めたからこそ 
皆が冷静な気持ちで 戦いに行く事ができたのだと思います。


日本は、やってはいけない戦争を引き起こしました。

今、誰が考えてもあの当時のアメリカに勝てる訳がないと分かっている人ばかり。
 
ですがその当時 やったら必ず負けると 声を出して云った人が居ないくらい 
不思議な状態に陥っていました。

これは何でしょう? たかだか騙し打ちの緒戦にほんのわずか勝ったばかりに 
有頂天になり 本当の戦いでは 引き返す事ができなくなった日本。

映画「トラトラトラ」の最後の台詞では「眠っている獅子をたたき起こしてしまった・・。」と

その後の大きな敗戦は 大きな代償を払わなくてはなりませんでした。
そして負けの遺産は 大きく私たちに圧し掛かって来ました。


今月の芝居に話を戻しますと

宋江はその、負けた事があるから 戦う時には慎重に慎重に 進めて行ったのだと思います。

宋江は確かに「ヘタレ」ですが 負けを認める勇気 引き返す事のできる勇気 
これはある意味 勇気ではないかも知れませんが、その判断が出来た人だと思って演じております。


今の世代の若い人たち、カッとなって事を起こし 取り返しのつかない状態になってしまう事件が
後を絶ちません

その後の、自身の破滅を考えられない人が その場で感情に走り 一瞬の勝ったと思う錯覚。 
負けの意味はもっと後にあるのです。

敗戦の意味を知り それを土台にして後の世代を生き抜いて行けば
勝ちの人生が訪れる事でしょう。 



私個人と 猿三郎と云う役者としての戦いは 他人との戦いは負け戦ばかり(笑)

ですが、過去の自分との戦いでは 一段一段 確実に上ってきており 
今現在でも 舞台に立たせて頂いております。

これは勝ちに等しい!(笑)
 


黒沢監督の名作『七人の侍』の中で 志村喬さん扮する勘兵衛が云う台詞の中で
「合戦には多く出たが みんな負け戦でな!」と・・・。

そこから生まれる沈着冷静さ! 

最後の台詞も「また、負け戦だったな! 勝ったのはあの百姓たちだ! わしたちではない!」と
云いながら生き残っている姿。


その姿も心に残ります。




敗戦から70年。
今の日本 世界の中で、もう負けている国とはどこも思っていないでしょう。


負けを認めること、 そして真の勝者は勝ってもおごらず 
どちらにしても 勝ち負けよりも 超越した冷静な考え方を持つ事。
それが その先を決める大事な姿勢ではないでしょうか?


舞台の上では どこまで行ってもヘタレの宋江。

ですが、ちょっと、宋江の言葉の裏には こんな経験があったかもしれないと、
思いながら見ていただけますと 物語が面白くなるかも・・・知れませんね