今月、夜の部の『熊谷陣屋』は丸本時代物の傑作です。

今日のブログは以前にも 書いた事があるお話で かなり重複しているかも知れませんが
新しく読まれる方のために 書かせて頂きます。

本来のお芝居は、『一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)』と云う 
長い長いお芝居の一場面です。

ですが、主に上演されるところは『陣門・組討』そして この『熊谷陣屋』が
多いでしょうか?

上野東京ラインから高崎線に入りますと、大宮を過ぎて熊谷と云う駅がございます。

歌舞伎の熊谷陣屋の場合 読み方は くまがい ですが
埼玉県のこの駅は くまがや と読みますね。

毎年、夏になりますと 日本の最高気温が埼玉県の館林か熊谷市になるのは、
皆様よくご存知かと思います。

この熊谷市が その昔 熊谷次郎直実(くまがいじろうなおざね)の郷であったところから
市となりました時に 熊谷市と名づけられました。

駅前ロータリーには、熊谷次郎直実の銅像も君臨しております。

歌舞伎の『熊谷陣屋』にまつわるお話は 平家物語から創作されたもので
実話ではございません でも非常によくできたお話です。


『熊谷陣屋』のお芝居は、今月上演されているよりも さらに長く 実際上演致しますと
2時間半くらいございます。

折角ですので 簡単?な あらすじを書かせて頂きます。


幕が開きますと 通称「花褒め」と云う 三人の百姓が登場して 
桜の横に立てられた 弁慶の制札を 読んでおります。

桜の木の枝 すなわち 「一枝を切らば 一指を切るべし」
木の枝を切ったら 指1本 切りますよと云う 戒めの制札。


とここへ はるばる鎌倉から熊谷の妻 相模が、初陣に出たわが子 
小次郎の様子が知りたくて 須磨の熊谷の陣屋までやって来たのです。

そして、その後、平家の大将 平敦盛の母 藤の方が 先の組討の場面で
熊谷に敦盛が討ち取られた事を聞き 熊谷次郎の陣屋へ わが子の
その消息を尋ねにやって来るのです。

思いがけず 再開した相模と藤の方 

実は16年前に後白河院に警護の侍として仕えていた熊谷次郎は 
奥方の藤の方に仕えていた相模と 逢引を重ね 
相模のお腹には小次郎を宿しておりました。

密通はご法度の院で両名死罪のところ、ちょうどその時 藤の方も敦盛を宿しており
仲裁に入って この二人を逃がしてやります。

その後 院を出奔した熊谷は源氏に拾われ 義経の家来となるのです。

ですから、敦盛を討たれた母の藤の方は 相模に、夫に対する敵討ちを
協力させようと致します。 

ここへ、後に登場致します梶原景高がやって来まして 前の場面で 
討ち取った平家の武者 平敦盛(たいらのあつもり)の首実検をしようと
熊谷の留守に陣屋に上がり込んで参ります。

と、今月上演される『熊谷陣屋』のお話の前に 本来はこれだけのお話があるのです。


まとめてみましょうか。

熊谷直実が 帰ってきた陣屋の中には 実は かなりのいるはずのない人物が
いるということになるのです。

義経主従はいるのが 当たり前なのですが それ以外に 梶原景高、妻の相模、藤の方。

陣屋どんなけ広いの?まさかみんな車座と云うわけではないし・・・と云うだけの人が
ひしめき合っている状態なのです(笑)  


そして、先の花褒めの後 いよいよここから 熊谷次郎が陣屋へ帰って来る訳です。

居るはずのない妻 相模の出迎えを受け また元々の主筋である藤の方に 
敦盛を討った敵と 斬ってかかられ その時の様子を二人に語るのです。


ですが、実は 二人の女性に語っていると見える 物語の様子は
奥に居る梶原景高に聞かせるために 語ると云われております。

でも、お客様は梶原の入りは、ご覧になっていない訳でして、
これではお話が ちんぷんかんぷんでしょうね。


結局 熊谷は16年前に助けてもらった恩義を感じ 藤の方の子供敦盛を助け 
相模とのわが子 小次郎の首を敦盛の身代わりとして 義経に差し出すのでした。


ここで花褒めの 「一枝を切らば 一指を切るべし」の意味が 桜の枝ではなくて
「一子(敦盛)を切るなら一子(小次郎)を切るべし」との 
義経の謎かけであったことが お客様にも明らかになりまして、
その義経の気持ちに 熊谷が答えるのでした。


ここに ここまで書いておりませんでした もう一つの理由があるのです。
(舞台をご覧になった方には 先刻承知の話でしょうが)

敦盛は藤の方と後白河院との間に生まれた 院のお種。
と云うもう一つの訳があるのです。これはもちろん創作。

自分と自分の妻(=相模)とその腹の子(=小太郎)を助けてくれたのが、
院の子(=敦盛)を宿していた 藤の方。


帝の血筋を切らないようにとの理不尽な申し付けと
主命と恩義の板挟みとなり わが子を身代わりに立てる武士道。

これで熊谷は 戦(いくさ)に嫌気がさし 出家の道を選んだのです。


と、簡単と云いながら 結構長くなってしまったのですが このあたりの人間関係と
その時に どういう経緯でどんな人が 来ていたのか と云うことを知らないと、
何がなんやら??になってしまいます。

次から次から 敵味方の人が陣屋の中から 飛び出てくるわけですから
冷静に考えますと 不思議な話ですが、今は上演されない場面では こんな物語が
あったのです。


次回『熊谷陣屋』をご覧になられるときには あらすじを頭に入れたうえで
ご覧になってみてください。

あちらこちらに 「ああ、こんなセリフを言って説明していたのか」という台詞が
あることに気が付くと思いますよ。

実は あちらこちらで 説明はされているのです。