今朝は歌舞伎座出勤の前に なでしこの勝利を確信しており
最後の15分は見られないなあ~、と思いながら8時試合開始に臨みました。

立ち上がり、アメリカの怒涛の攻撃 あれよ・・・あれよ・・・(唖然)


ああ・・・なんてこと・・・

実は我が家では 基本的にはゴミ出しは私の仕事。
家人が仕事の時には その出勤の時間に 一緒にマンションの下まで降りて
ゴミ出し&いってらっしゃい と云いますのが 普段の光景になっております。


ですが、今日は「ゴミ出しは ハーフタイムにするから!!!!」の宣言だったのですが
あまりにも ワンサイドの試合運びに 家人の「いってきます」に じゃあとゴミ出し。

エレベーターに乗りながら「こういう瞬間に一点入るねんで~(笑)」というからかいを
右から左に受け流しまして・・・ 自室に戻りましたら・・・・一点入ってました!(笑)

日本、大儀見選手の素晴らしいゴール!


でも後半2点目を返して・・・。もしかしたら 追いつくかも・・・というほのかな希望も
アメリカ とどめの1点! これがなければ・・・(涙)

私 今日は、通勤の電車がかなり遅延しているとの情報が 家人から入っておりましたので
いつもより早くうちを出ることになってしまいました。


でも準優勝! 世界2位です! 胸を張ってください なでしこ!

いつもいつも夢と感動をありがとう。

大好きな岩清水選手の涙には いたたまれない感じも致しましたが、
それでも、素晴らしい試合の数々、ありがとう、心から思いました。



で、昨日からの続きの いろんな八犬伝。


猿翁旦那の『南総里見八犬伝』の通し狂言は、かなり古くから上演されており
1975年4月 明治座公演が一番最初でしたでしょうか?

犬塚信乃 犬山道節 犬村角太郎の三役が猿翁旦那(三代目猿之助)
犬飼現八は片岡仁左衛門さん(当時、孝夫) 

その後 京都南座、名古屋御園座と上演されました。
 
私はまだその時 上方籍であって、違う公演に出演のために、この演目には
参加できませんでした。

私が初めて『南総里見八犬伝』に携わったのは、やはり昨日までに書きました
1981年南座の「芳流閣」が最初でした。

その後、スーパー歌舞伎『八犬伝』へと続きますが、スーパー歌舞伎はまた後日。

古典のこの演目では 2002年2月大阪松竹座の公演 
この時、昼の部が『南総里見八犬伝』の通しで 夜の部が『加賀見山再岩藤』でした。


ただでさえ、通し狂言として大がかりで大変なお芝居 昼夜、両方とも通し狂言。
これはあんまり記憶にございません

『仮名手本忠臣蔵』や『義経千本桜』等1日を掛けて昼夜で上演することはございます。

ですが、全く別の通し狂言を昼夜で上演するのは珍しい事でした。
と云うより、大道具さんやスタッフ連中に 無理強いをする事になります。
従いまして私たち役者も含めて この公演かなりの負担がかかりました。

稽古、舞台稽古、初日にかけて何日間、徹夜を強いられたでしょうか?
まして、初日が開いてからがまた大変。

そんな『南総里見八犬伝』の公演 さすがに2002年7月歌舞伎座は
昼の部は見取り狂言で 夜の部がこの演目の通し上演でした。

続いての2003年6月中日劇場ではこの演目を昼夜変則での2回公演。

それから2004年11月の博多座。

このあたりまでが 一続きの公演として ある程度は決まっていたのです。


思い起こしますと この『南総里見八犬伝』の一続きの公演は、
スーパー歌舞伎『新・三国志』シリーズの時期と ほぼ一致しております。


古典では 一年に一度の『南総里見八犬伝』、スーパー歌舞伎では I~IIIへと
続きます『新・三国志』のシリーズ。


少し前に書かせて頂きました、私の個人的に一番つらかった時代。
それと 見事に一致しておりますこの時代・・・

ですが、不思議と私の中では 『新・三国志』は辛い辛い記憶と共にございますが
同じ時期の『南総里見八犬伝』は、どこか、その記憶とは違うところにございます。


そんな思い出は また、後日に続きます。