6月博多座『四代目中村鴈治郎襲名披露公演』も、あと少しとなりました。

夜の部の『芸道一代男』では、初代中村鴈治郎さんのドキュメンタリー的なお話を
歌舞伎として上演致しております。

初代の父は、四代目中村歌右衛門の養子となった中村翫雀。

この四代目中村歌右衛門は、先月明治座『男の花道』に登場した、
三代目中村歌右衛門の養子。猿之助さんが演じられた 歌右衛門の養子に当たります。
なんだかややこしいですか?(笑)

ですが、流れとしては続いている訳です。

ちなみに五代目は四代目の養子、そして五代目の子が、皆様のご記憶にもあるでしょうか?
2001年にお亡くなりになられた 六代目歌右衛門さんです。


話を『芸道一代男』に戻します。



訳あって、東京 大阪と別れて暮らしていて玉太郎(演じておられるのは四代目鴈治郎さん)は
出生を 知りません 

縁あって飛び込んだ歌舞伎の世界で、大阪の實川延若の弟子となり その名も實川鴈二郎 

その後、初代中村鴈治郎と名を変え大看板へと成長していくのです。


私もちろん 初代は存じ上げませんが 二代目鴈治郎さん 三代目鴈治郎(坂田藤十郎)さん
そして当代と、奇しくも三人の鴈治郎さんと同じ舞台を踏ませて頂いた事になります。



私が上方歌舞伎に籍を置いておりました時には、まだ中座で「上方式」の「上方役者だけ」での
『仮名手本忠臣蔵』を上演する事が可能でした。


現在は、上方在籍の役者さんは 少なくなってしまいました。
寂しい限りですね。

そう考えますと、鴈治郎さんの御襲名は今後の上方歌舞伎にとりまして
明るい出来事です。

そしてご子息であられる壱太郎さんも ここ目覚ましいご成長ぶりで、
女形 立役 どちらにも引っ張りだこです。

また扇雀さんのご子息 虎之介さんも来月、襲名巡業公演で
扇雀さんと連獅子を踊られます。これも楽しみです。


坂田藤十郎さんも1400回のお初を迎えられますますお元気。
久しぶりに上方歌舞伎に明るい光が差して参りました。



鴈治郎さんのお家のご紋は云うまでもなく「イ菱」
カタカナのイの字が4つ 菱型に配置されております。

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このイ菱がどうして使われているのだろうと 今回疑問に感じましたので
ちょっと調べたり、お弟子さんに聞いたりしてみました。


この謂れは、加賀の国の殿様が初代、鴈治郎さんのお芝居を見て 
「これは、よい!」と絶賛して褒めたそうです。

それにあやかりまして、「イ」が「四つ」で 「よい」!
 
始めは菱型ではなく イの字で丸く描かれていたそうですが、
東京の成駒屋の祇園守の丸に遠慮して イ菱としたのだそうです。


同じ時期に登録された、四国松山の伊予鉄道のマークも、同じイ菱なのですが、
これは伊予 「よい!」ではなく 「いよ!」(笑)


面白い偶然ですね。いや偶然ではなく どこかにつながりがあるのかも?(笑)
それはお客様 調べてみて下さい。


これは今月 楽屋がおなじの若鮎の同期、中村鴈乃助さんから 教えていただきました。
伊予鉄道の事も・・・(笑)

ありがとうございます!
 


そして坂田藤十郎さんのご紋は、『五つ藤重ね星梅鉢』

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これは梅鉢に近い紋ですが、中に藤があしらわれております。
大きくしますとこのように・・・。


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実は先日の『曽根崎心中』の舞台面の写真で、のれんの梅鉢の紋は
この紋に変更されたかな? と 思ったのですが、
変更はされておりませんでした。(笑)



坂田藤十郎 中村鴈治郎 上方の大名跡がここに再び、並んだ訳です。

これを機会に鴈治郎さん 屋号を成駒屋の「屋」の字を「家」に変えられ
「成駒家」となられました。


もともとは、初代が中村鴈治郎を名乗られた時に、東京の成駒屋に遠慮され
この家の文字を使われておられたのだそうですが、一旦は屋号として屋の字とされました。
 
今回 改めてあえて元に戻し 「家」の文字とされたそうです。

お「家」発展のために 気持ちも新たにされたのでしょうね。


今月、私がこの舞台に出せて頂いたことは 上方出身の役者といたしましては
本当にうれしい事でした。


後、3日。
昔なじみの先輩、同輩、そしてその次の世代の方と共に 楽しんで舞台を勤めたいと思います。