大阪梅田、曽根崎は今ではキタの大繁華街。
その繁華街のど真ん中と云える処に『お初天神』はございます。

その昔 菅原道真公が大宰府に流される居り 近くを立ち寄られ
それがご縁となりました、露天神社(つゆのてんじんしゃ)

この名前よりも通称の『お初天神』の方が 皆様にはよく知られておりますね。(笑)


元禄16年(1703年)4月7日、ここ露天神社の裏手の天神ノ森で
ある二人の男女が 心中致しました。

堂島新地天満屋のお初と内本町平野屋の手代、徳兵衛。

近松門左衛門は実際にあったこの心中事件を題材に「曽根崎心中」を書きました。

これが当時大ヒット致しまして、お参りする人が絶える事なく
誰云うともなく『お初天神』と云われるようになりました。

この「曽根崎心中」のお芝居、元禄16年4月7日、
1日だけの物語です。


ただ、心中に至るまでのお話はあくまでも人形浄瑠璃ですので、
お芝居の通りのお話があったかどうかは 定かではありませんが、
お初も徳兵衛も まさか自分たちが心中した後もその名が残り 
300年以上も語り継がれているとは 夢にも思わなかったでしょうね。


今月の舞台で、まもなく1400回を迎えられる お初、坂田藤十郎さん

本当にすごいと思います。

写真は今月の天満屋の舞台です。裏舞台で撮影致しました。

イメージ 1


のれんは本来 全部下りておりますが、三枚だけ便宜上あげてございます。
そののれんにご注目を・・・。

天神様 菅原道真公の紋所、(梅鉢)の紋がのれんに染めてございます。

お初天神を捩ってあるのでしょうが、本来は遊郭ですから
この紋を使うのはとても恐れ多い事なのですが 
天満屋そのものが、梅鉢の紋だったとも思えませんし、
ま そこはお芝居のウソと ご解釈くださいませ。(笑)


次の写真 表口ののれん

イメージ 2


大きな文字で「天満屋」 と染めてございます。

この大きな文字。上方式独特でして これが東京の歌舞伎座ですと
この文字が普通の大きさになります。

本当は比べられると一目瞭然なのですが、大阪より西で上演される場合
この大文字となります。


東京歌舞伎座の場合普通の文字となります。

これは東京と大阪の大道具さんの違いによります。
上方の狂言方さんから伺いました。

そして坂田藤十郎さんは
「やはり西の文字の方が 情緒があって、私は好きだな~。」と
おっしゃっておられるそうです。(笑)

なかなか見比べることは 難しいでしょうが、ちょっと記憶の片隅に置いておいてください。


ちなみにこの事件のございました 元禄16年。

前年の元禄15年末には 江戸では赤穂浪士の討ち入りが行われております。
浪士たちの切腹がございましたのは 翌元禄16年の2月の事。

一方上方では、曽根崎心中の元となりました 心中事件が起こっております。


「曽根崎心中」は事件のその年にもうすでに 近松門左衛門により作られております。

私たちお馴染みの 竹田出雲 並木千柳 三好松洛 三人の作者よる『仮名手本忠臣蔵』は
かなりたってから出来たお話ですが、
赤穂浪士の討ち入りを元にしたものは 翌年からすでに上演されておりまして、
同じく 赤穂浪士を扱った近松門左衛門による作品「碁盤太平記」も 4年後に上演されております。



東西で のちの歌舞伎に大きく関わってまいります二つの事件が 起きたことになりますね



大阪に行かれました際には、一度お初天神にも 行ってみてください。

梅田駅から 歩いていける距離です。

すぐ近くですが・・・慣れない方は、明るい時間に行かれることを お勧めいたします。