博多へ来る前に 東京でお医者さんから処方して頂いた1週間分の薬。

昨日で すべて飲み終わりましたので、一応今日からお酒 解禁なのですが、
いつもと違い なんだか一人で解禁を祝っても寂しいですし、
明日、家人が土日の休みを利用して 博多へ参りますので、
今日もう1日お酒を我慢致しまして、明日 解禁と致します。(笑) 

皆様の禁酒に対する励ましのコメント 本当にありがとうございました。

これで自らが、アルコール依存症ではないという自信が持てました。(笑)



さて 今月の昼の部の『曽根崎心中』千穐楽前で上演回数、
なんと1400回を迎えられるそうです。

猿翁旦那の『四の切』も1992年1月歌舞伎座で1000回の上演記録を打ち立て 
その後も2000年9月の松竹座まで 8年の間に何回か上演されていますので 
有に1200回以上を数え お互いに、すごい回数だと思います。

七代目、松本幸四郎さんは、生涯に『勧進帳』を1600回以上も勤められ
現在、九代目幸四郎さんがその記録に 追いつけ追い越せと頑張っておられます。

おひとりの方がこれだけのお役を勤められると云うのは 
本当に大変なことだと思います。

『放浪記』の森光子さんも2000回以上と云う 歌舞伎ではないのにも関わらず
これだけの上演記録を 打ち立てられたのも凄いですね。


ただ、『放浪記』のようにその公演だけを上演するという東宝のシステム。

それに対して歌舞伎の場合 同時に他の演目をも上演しておりますので 
一概に数字だけで比較するのは 意味合いが違うとは思いますが・・・。

もちろんお芝居は、上演回数を増やせばいいと云うものでもありません
回数は、その演目をお客様が見たいと思われるバロメーターですね。

回数そのものは、どんどん増えて参りますが、途中の経過も大事かと思います。



私が猿翁旦那の『四の切』に初めて接しましたのは、1973年(昭和48年)
1月、大阪新歌舞伎座、350回記念の時。私 若干20歳。(笑)

その後、400回か450回目くらいから、桜の木の上に登場する
狐忠信の吹替は 私が勤めさせて頂き その吹替も記録としましては
確かな回数はわかりませんが、おそらく700回以上は
勤めさせて頂いております。(笑)

それまでは、段四郎さん他が勤められておられました。

『四の切』の狐忠信の吹替。

これは、私のこれからの役者人生も含めて 生涯に於いて 
おそらく同一お役として、一番数多く 勤めさせて頂いた
お役だと自負、致しております。(笑)

また、お話が脇へ逸れてしまいました。(笑)



先ほどの『曽根崎心中』ですが、これは二代目鴈治郎さんと
もちろんお初の坂田藤十郎(当時扇雀)さんとのコンビで
上演されたのですが、二代目さんが亡くなられた後、徳兵衛のお役は 
新鴈治郎さんの他に 菊五郎さん 團十郎さん 梅玉さん等も
勤められておられます。

私も上方に居りました時に、何回か『曽根崎心中』に出して頂いた事が
ございます。

初めて出ました時はもちろん 徳兵衛と九平次の後ろで騒いでいる
民衆のひとりでした。(笑)

何回も民衆に出ましたその後、徳兵衛が花道に引っ込む時に 後ろから
「かたりめ!」と ののしるお役も頂きました。

これはかって、父も勤めさせて頂いた事がございます。

このお役は、通称「かたりめ」と云いまして、いわゆるその他大勢の中でも
少し特別なお役でございます。


そして今月も、父が勤めた事のあるお役で、私は初役の 
九平次の朋輩の一人を 勤めさせて頂いております。



この『曽根崎心中』で一番 記憶に残っておりますのが、
1976年(昭和51年)10月御園座での公演。

この時の19日がちょうど『曽根崎心中』600回記念の日でした。

この記念すべき公演の時に 

私は花道から二代目鴈治郎さんの 徳兵衛と一緒に出て 
舞台において徳兵衛から 先に帰る様に 言われる丁稚長蔵のお役をさせて頂きました。

私 この時24歳(笑)


「道頓堀には よりゃんなや!」と云われて 「へ~い!」と云って
下手へ入るお役で 今月は部屋子お披露目のお役として 
中村未輝くんが勤めております。

私はこの丁稚のお役の時、とてもいい経験をさせて頂きました。


花道で、二代目鴈治郎さんと 一緒に出を待って居る時は
正直、お年もだけど「小柄な方だな~。」と 後ろで思っておりましたが、
いざ、舞台に出ますと 段々 この小さな体が大きく見えて来るのです。

花道から本舞台にかかりますと、私の方が小さくなっておりました。

芸の力と云うのはなんと偉大なものか!と 思った次第です。


皆様にはこの事は 信じられないかも知れませんが これは掛け値なしの
本当に私が受けた印象です。

舞台に出ますと、あの二代目さんの小柄な体が 全然小さく見えないのです。
小さいどころか すごく大きく見えるのです。


あの時の24歳の若僧ですら、そんな気持ちになれたのですから、
理屈ではありません と 云ったお話です。(笑)



今日の写真はその今月の『曽根崎心中』での私のお役、九平次の朋輩の一人です。
 
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お酒の飲めない先月末から、今月の初めでしたが、
舞台上では『曽根崎』でも『ぢいさんばあさん』でも お酒を飲んでおります。(笑)

少し頬を赤くして ほろ酔い気分です。

明日からは私も夜は・・・(笑) ほどほどに 頂きたいと思います。