今から40年前にもなりますでしょうか? 

1975年9月。『鳴神』と『女殺油地獄』『手習子』で
実川延若さん 中村富十郎さん 中村扇雀(現坂田藤十郎)さん
片岡秀太郎さんたちと 西日本の巡業に行ったことがございました。

当時の私は23歳。
そうですね、澤瀉屋で言いますと、若手バリバリの喜楽さん、喜美介さんあたりでしょうか。
今月も一緒で、いろいろと話させて頂いております 中村壱太郎さんよりも 若かった?

私のそんな 若き時代のエピソードです。



ちょうどこの時、広島県の三次(みよし)の公演を終えて 九州に向かう
バスの中だったでしょうか?

バスが、通過する道路標示を見ますと土生。

現在の広島県安芸高田市、当時 ここに土生(はぶ)という地名が
まだ残っておりました。今でもあるのかな?

ここが土生玄碩の生まれたところ。
この土地で土生家は、かなりの実力者だった云われております。


ここを通過するときバスのガイド(男性)さんが、
こんなことを云いました。

「土に生まれると書きまして ここは土生(はぶ)と申します。
 難しい読み方ですが、こんなお話があるのです。
 昔 ここで生まれられた えらいお医者さんに 土生玄碩という方がおられます。」

「江戸時代にこのお医者さん 歌舞伎役者の・・・・。え~? 
 なんとか歌右衛門の目を治したという 逸話がございまして・・。」


一番前の座席に延若さんが座っておられ「中村歌右衛門と云うのですよ!」と
ガイドさんに教えられると 「ああそうだ 中村歌右衛門だ!」

「お客様 よくご存知ですね! その中村歌右衛門が江戸下りの時に・・・」
と 始まり 『男の花道』の一説を延々 お話し下さいました。(笑)



延若さんや他の役者さん方も クスクス微笑みながら 聞いておられ
私たち若手の役者連は 後ろの座席で 
「おいおい!役者たちに男の花道、説明してるよ!」と 大笑いでした。



バスの貸切表示には「松竹大歌舞伎 御一行様」とあったので
運転手さんもガイドさんも どうも お芝居を見に行く一行と
間違えているようでした。(笑)


どちらかと申しますと むっさい(笑)男ばかりの観劇ツアーなんて
そうないと思いますので 少し深く考えられたら 気が付きそうなものですが、
その時のガイドさんは 気が付かなかったみたいですね。

恐らく、故郷の偉人の話ですので、張り切っての ご説明だったのだと思いますが(笑)


説明するのも面倒なので、バスの中の楽しみとして ひとくだり みんな
ニヤニヤしながら聞いておりましたが、もしガイドさん
私たちが役者の一行と知ったら 冷や汗ものだったでしょうね(笑)

と 巡業の時のエピソードでした。 



今でも、巡業のバス移動の時は「松竹大歌舞伎 御一行様」と云う表示がされております。


見に行く団体みたいな表示やなあ~と思いながらも、毎回この表示のバスに乗ります度に
このエピソードを思い出してしまいます。