昨日、途中まで書かせて頂きましたが、2003年8月の歌舞伎座の舞台。

 

公私に渡りまして、本当に本当に大変、大変と云うだけでは 言い表せない、
次々と色々なものが 折り重なって 積み重なって 私に襲い掛かる、
そんな一年だったのです。


 

その最中、おそらくこの一年の中では 苦しみと隣り合わせで出演したのが
『野田版 鼠小僧』でした。


 

映画を見るのは 実に簡単です。
やっている時に 映画館に行く時間さえあったら 見られるのですから。
しかも、このシネマ歌舞伎は 封切り以来 何度かの再上映が行われて居ります。

 

見るのは簡単なのです。それなのに、見る事が出来なかったのです。

 

色々な思いが 押し寄せてきて、押しつぶされそうになったから。

 

この作品を見る事が出来ないために、それ以外にも出演させて頂いております
『ふるあめりかに袖はぬらさじ』も『ヤマトタケル』も
見る事が出来ませんでした。

 

自分の出ている作品が見られないのですから、それ以外のシネマ歌舞伎の作品にも
どうも足を 運ぶ事が出来ませんでした。


 

今まで自分自身で見る余裕のなかった『野田版 鼠小僧』

 

昨日 初めてシネマ歌舞伎と云う形で見せて頂いて 第三者の客の立場として
これほど  面白い! と 思うお芝居だったんだ。 と思いました。 

 

思い切り笑わせてもらいました(笑)

 

今では、このお芝居に 私が出演させて頂いて居たかと思うと 嬉しくてなりません

 

私は当時 まだ猿三郎ではなく 市川延夫

 

勘三郎さんもまだ18代目ではなく 勘九郎のお名前。 


 

舞台上のお芝居は一期一会、本来は その当日 切符を買って頂いて 
そこに来て頂いたお客様だけのもので 再度ご来場頂かないと 
その当時の二度目のお芝居はありません

 

ですが、 こうしてもう一度 あの舞台を あの時の あの舞台を・・・
見る事ができるシネマ歌舞伎は 改めて うれしく 感動致しました。

 

失意の中の私を励まして下さっていたのは 舞台上の
勘三郎さんの演技だったかも知れません
 
三津五郎さんのお芝居の情熱だったかも知れません


 

・・・・・ですが、


 

一緒に 舞台に立っていた 活き活きとした あの方が・・・・ この方が・・・。
今は、と思うと・・

 

ざっと思い出しただけでも 8人もの方が、もうこの世に居られません

 

あの舞台でおそらく 一番、失意の中、明日の事さえ分からなかったのは 
誰でもない どん底の私だったのに・・・。、


 

一年後には私はこの世界には もしかしたら この世にすら 居ないかも知れない
そう思って 一日一日を立ち続けていた 舞台だったのですが・・・。、

 

12年の時を経て 改めて ようやく見ることができましたその時には
あんなにお元気で 活躍されて居た あの方たちが 

 

と 思うと 私なんかが今 ここに居ては・・・ 

 

代わりに私だったら・・・ 

 

そんな事を考えてはいけないのでしょうが、・・・。

 

勘三郎さん、三津五郎さん、坂東吉弥さん、助五郎(源左衛門)さん、
猿十郎さん 三津之助さん 翫之助さん  八百稔さん

 

そして福助さんは 今 病と闘って居られます。

 

それ以外にも歌舞伎界を 去った人たちも何人か・・・。



 

正直 色んな事が思えて来た舞台! そんな シネマ歌舞伎でした。


 

映像に残る事が幸せかどうかは わかりませんが 私は 素晴らしい舞台に、

 

第一回目のシネマ歌舞伎のここに 『野田版 鼠小僧』のここに顔を・・・
勘三郎さん 三津五郎さん と ここに顔を連ねて居た 
ここに猿三郎!(当時は、市川延夫ですが・・・笑)が 居たんだ!と思いますと、

 

なんか昔のハリウッド映画の ジョン・ウェインやゲーリー・クーパーと一緒に
そばに 映っていた端役の役者のような気がして  それでも とても嬉しかった思いです。


 

もう今度は ないかも知れない舞台が多々 ございます。

 

命を削っての舞台がここにございます。



 

今月のこの映画、今回このタイミングを逃すと また見られないままか?と思いましたが
実は 私の背中を 強く強く 押してくれたのがこの一枚の写真でした。

 

イメージ 1


 
これは、一部の映画館で配られている 無料の冊子の一ページ。
(残念な事にパークスシネマは 系列外でしょうか、置いておりませんでした)

 

小さな記事の小さな写真なのですが、ここに勘三郎さんと三津五郎さんと そして私。
3人しか写って居ないこの写真 ちょっとピントはボケておりますが、
私が写っているのです。

 

ああ・・・お二人とももう居られないんだ・・・と思いながら、
ここにこうして 写っているのだから そろそろ本気で見なければいけない、と。

 

そんな後押しがあって この作品を見る事ができました。

 

感想よりもどうしても この時の苦悩がありましたので、それと絡めない事には
この舞台、映画は語る事が出来ません。


 

過去の家庭、そのいざこざ、読みたくないよこんな話。 と思われる方も多く居られたと思います。
その点はお詫びいたします。申し訳ありません。


 

私は今、元気です。
ちょっとした病は得ましたが、12年前からは 考えもつかない人生を歩んでおります。
ようやく振り返る事が出来ました。

 

山のようにあった借金も、この『野田版 鼠小僧』の当時から3年の歳月で
すべてを返済いたし、 その後 縁あって今の家人と 再婚を果たし、
もう10年になりますか?

 

そして猿三郎のお名前を頂き、 また頑張った甲斐もあり 思いがけない事もあり、
前の借金を上回るほどの貯えまで出来てしまいました。


 

あの舞台に共に立たれていて、今は鬼籍に入られた先輩、同輩、後輩。

 

その方たちの分もなんて、おこがましい事は申しませんが、
今、私がまだ舞台に立てている事の幸せを 感じながら、毎日の舞台を精一杯
勤めさせて頂いております。


 

あの『野田版 鼠小僧』では 映画の最中にも エンドタイトルにも
私の名前は出て参りませんが 出演していた事は事実ですし
歌舞伎データベースの記録にもございます。

 

もし今度 皆様の地域でこの『野田版 鼠小僧』の上映がございましたら
是非 ご覧頂きたいと思います。


 

昨日、今日と大変私事のブログで 申し訳ありませんでした。

 

勘三郎さん 三津五郎さん 本当にありがとうございました。