昨日、無事に歌舞伎座の千穐楽を迎えた私で、今日はお休みの筈ですが、
いつもの出勤する時間になりますと、時計を見ながら「今日は行かなくていいんだよな?」と 
確認しなくてはならないのは、職業病と申しますか、なんとも悲しい性です(笑)

今日の朝からは、す・せ・そ の(せ)から始まり(そ)が終わり
午後から(す)の買い出しに行きまして(笑)
で、帰宅後 さっきの、感覚に落ちいった訳です。

あ、こう書きますと家人さんは、何もしないのか?と 
思われそうですが、朝早くから働きに出ております。(笑)

え~! 生活費のためではありません お芝居を見たり 旅行をしたりの
個人的費用を ご自分で捻出してくれているのです。念のために・・・(笑)

自分でチケット買って 芝居見て(くれ?)はりますので(笑)


「働かざる者 遊ぶべからず」 我が家の家訓です。



それから 私はその後、ある(さ)を致しました。

一昨日、寿猿さんの本役、強力太郎吾のお話しをさせて頂きました。


このお役 以前はほとんどが、三代目段四郎さんか、今の四代目段四郎さんが
勤められておられました。

最近は猿弥さんが多くなりましたが・・・。

昭和34年(1959年)3月大阪新歌舞伎座に於きまして、猿翁旦那が團子時代に 
初代猿翁さんの老女岩手の時に、この強力太郎吾を一度だけ 勤められておられます。

猿翁旦那、若干19歳。

寿猿さんとの86歳とは実に 最年少と最年長です。(笑)



そして、この大阪新歌舞伎座には、もうひとつ因縁の歴史がございます。

本公演のお役としては、ある意味記録としては載らない まぼろしの
『黒塚』の代役がございます。

今回の歌舞伎座の番付(筋書)にはかろうじて 書かれてございますが、
平成2年(1990年)2月大阪新歌舞伎座 夜の部の『黒塚』

この時 猿翁旦那が、声(こえ=咽喉)の調子が思わしくなく 何日間か
休演されるという事態が起こりました。

昼の部の『天竺徳兵衛』は右近さんが代役され 夜の部の『一条大蔵譚』は
歌六さんが代役されました。

そして『黒塚』の老女岩手は、強力太郎吾を勤めておられた段四郎さんが
急遽 勤められました。 確か日数的には3日間だったか6日間だったと思いますが・・・。
(昼の部のみで夜の部が休演の日がございましたので、回数があやふやです)


後にも先にも、段四郎さんが老女岩手を勤められたのは 実にこの時だけです。

普段 猿翁旦那が勤めておられる時は 私はもちろん、お化粧や拵え替えのお手伝い
虫笛 塚出しやら 裏の色んな作業もございます。


でも、この段四郎さんの老女岩手と 後の鬼女のお役 今後いつ回って来られるか
わからないと思い 裏の仕事を色んな人たちと持ち回りで助けてもらい、

段四郎さん 先代門之助さん他の お許しを頂き 私は 花道揚幕で 
幕開きから 幕が下りるまで 全編 昔の家庭用ビデオで 撮影致しました。

そのVHSビデオのダビングを当時 段四郎さんに差し上げましたところ 
大変喜んで下さいました。

そして今日 再びそのビデオを見ながら DVDに焼く作業を致しました。
お休みの時にでもしないと、普段ではなかなかできないのです。



何年も前のアナログの家庭用ビデオ まして『黒塚』の照明は プロの方でも撮りづらく
例によってぼやけた 画面ですし、昔のコンパクトVHSで撮ったものを VHSにダビングして
さらに 今回DVDにしましたので、画面的には やはり難がございます。
ですが、記録としては録画しておいて よかったと思いました。


思えば、猿翁旦那が昭和38年(1963年)5月三代目猿之助を襲名された時は、
歌舞伎座に於いて 初代猿翁旦那の勤められる筈であった、代役の『黒塚』

段四郎さんが大阪新歌舞伎座で勤められた時は 猿翁旦那の代役の『黒塚』

そして寿猿さんが昨今 強力太郎吾を猿弥さんの代役で勤められた『黒塚』

今、四代目猿之助さんが『黒塚』を勤められるようになられるまでには
過去には、こんな歴史が『黒塚』にございます。


25年前のビデオを見ながらそんな事を考えた1日でした。