4・5日前にコメント欄で『番町皿屋敷』と『播州皿屋敷』は
どの様に違うのですか? と云う ご質問を頂きました。

今日はそのお話しです。


明治に書かれた岡本綺堂の『番町皿屋敷』のお話しの元となった『播州皿屋敷』と云う物語。

『番町皿屋敷』は舞台は江戸、それに対して播州ですから、兵庫県 昔でいう播磨の国。


『播州』に登場する人物に、青山鉄山と云う武将が居ります。

「播磨」の国の「青山鉄山」ですから 『番町皿屋敷』の主人公が「青山播磨」
と云うのも なんとなくうなずけるような設定ですね。


歌舞伎における『播州皿屋敷』に触れる前に、そのもとになったお話を書きたいと思います。

歴史博物館ネットミュージアム。
『ひょうご歴史ステーション』と云うページにこの様な文章がございます。


『播州皿屋敷 姫路のお菊井戸』

以下、このページからの抜粋ですので 詳しくお読みになりたい方は
そちらをどうぞ。

私なりのそちらのページを参考にして まとめて書かせて頂きました。



1500年頃、小寺氏が姫路城主であった時代 家来の青山鉄山は、
小寺氏を滅ぼし いつか自分が城主になりたいと 野望を持っておりました。

小寺氏もなんとなくそれが分かり 腰元のお菊をスパイとして青山家に潜入させておりました。 

城主の小寺氏が亡くなり 若い則織(のりもと)が家を継いだ時に 鉄山は
花見の宴の折に酒に毒を入れ 毒殺しようとしますが 青山の息子小五郎とお菊の働きにより
失敗します。


そんな折に、戦が起こり小寺氏に敵対する大名の味方をした青山鉄山は
小寺氏を 瀬戸内海に追い出し 自分が姫路城主となり、
小寺氏の家の宝 10枚揃いの『こもがえの具足皿』をも奪います。


そして、自分に力を貸してくれた近くの土豪を招いて 宴の折 
この皿を用意するように、お菊に命じます。 


鉄山の家来の中の一人 町坪弾四郎(まちつぼだんしろう)は かねてお菊に惚れておりましたが、
相手にされないと その10枚の皿のうち1枚を隠しお菊が疑われる様に致しました。

鉄山は怒り、お菊を責めますが弾四郎がなだめすかし お菊は弾四郎家へお預けとなります。

ここでもお菊に思いを伝えますが、これでもお菊は相手にせず 怒った弾四郎は
お菊を庭の松に吊し上げ 散々責めた挙句に井戸へ投げ込んでしまいます。  


その夜から皿の枚数を数えるお菊の亡霊が井戸に現れ 誰云うとなく『皿屋敷』と
云われたそうです。

やがて小寺則織が巻き返して姫路城を奪い返し 青山鉄山は討ち死にし
町坪弾四郎は家宝の皿 10枚を返して命乞いをしますが、則織は許さず、
お菊の妹二人に 仇討ちをさせたそうです。

以上 「姫路城史」より。



これが『播州皿屋敷』のもとになった お話しです。 

時々、歌舞伎でも上演されます。
といっても、戦後3回くらいしか上演されていないようです(「歌舞伎on the web」より)


歌舞伎では確かこの鉄山(鐵山)と弾四郎の人物が、合わさって居た様な
書かれ方だったと思います。

そして浅山鐵山と云う名前になっております。

今、私が書きました歌舞伎の『播州皿屋敷』の元になったお話のあらすじを読まれた方には 
この物語のお菊が、理不尽なままに殺されたことに 何と云っていいのかがわからないような 
もやもやした感じが、ぬぐえないのではないでしょうか?

何か残るような そんな気持ち。


お菊と云う女性が、お皿が原因で殺されたことは おそらく変えられないでしょうから 
それではなぜ、お菊が死ななくてはいけなかったのか・・・そこに何か 意味を持たせようと
思ったのが岡本綺堂による 『番町皿屋敷』であったのではないかなと思います。


「皿屋敷」と云う言葉を聞いて『番町皿屋敷』をご覧になった方には、
思い描いていた「いちま~い にま~い」と云ったものがない事に 驚かれたと思います。

ですが、『播州皿屋敷』の元になったお話、そして『播州皿屋敷』 そこから作られた『番町皿屋敷』

順を追って内容を見て参りますと また、違った捉え方もできるのではないでしょうか。


恐らく、『番町皿屋敷』のお菊さんは・・・井戸から出てこなかったような気が致します。

皆様はどう思われますでしょうか??



姫路城にはこのお菊を弔い 現在でもお菊の井戸がございます。
改修なった姫路城、昨年の巡業の際は 時間的に訪れることが出来ませんでした。
また、機会がございましたら 私も行きたいと思います。


ご質問いただきました方、 お判り頂けましたでしょうか?