昨日 急きょ ブログの内容を差し替えさせて頂き お出汁のお話しを書かせて頂きました。

でもなんか皆様 歌舞伎のお話しよりも食いつきがよかったみたいで、
歌舞伎のお話でない方が 皆様喜ばれるのかな?・・・と (笑)

嬉しいような 悲しいような。



でもやはり今夜は、一昨日の続きを・・・。

『祇園祭礼信仰記』と云うお芝居は『仮名手本忠臣蔵』や『義経千本桜』と同様、
文楽から発祥した歌舞伎で 全五段からなる長編の丸本時代物です。

しかし、四段目の「金閣寺」以外の上演がほとんどなく 私も「金閣寺」以外の
場面は見た事がございません

上演されないと云う事は それ以外の場面はあまり面白くないのでしょうか?
猿翁旦那も手を付けられておりませんね(笑)

この狂言名題「信仰記」とありますが、初めの頃は「信長記」だったそうです。
ですが幕府より 信長の名前を狂言名題に使うのは 恐れ多いとの事で、
信(長)を仰ぐという意味の「信仰記」に替えられたそうです。 

例によってこの江戸時代、徳川の天下でしたから、このあたりはちょっと複雑です。

簡単に申しますと、江戸幕府は 豊臣方をほろぼしたことにより成立いたしました。
その豊臣は 織田を破っております。

自ずから、どちらがどのようにとらえられるのかは、わかって頂けると思います。

敵の敵は味方ではございませんが そういった風潮も一部にあったのではないかと
想像しますのは 恐らく当然の流れでしょう。

豊臣秀吉(羽柴秀吉=木下藤吉郎)が 活躍する内容は ある意味タブーだったのです。

それで、此下東吉、と名前を変え 信長も小田春永。松永弾正久秀が松永大膳。
加藤清正が佐藤正清とは、致し方ない事でしょうね。


しかし、昔の狂言作者さんの 何とも上手な命名をしたのではないかと思います。


そして、本来は城ではなく 立て籠もれる筈のない「金閣寺」が舞台と
云うのも 歌舞伎らしいではありませんか?(笑) 



しかも、「金閣寺」の天井に絵を描かせるために 雪姫と狩野之介直信に競い争わせようと
しております。

実はこの二人 恋仲で この「金閣寺」の場面で夫婦となります。

この後どうなるの?この前後は どうなっているの???

そんな声が聞こえてきそうですが、現在では ほとんどこの「金閣寺」の場面しか
私たちは 見ることが出来ません。



ですが「金閣寺」の場面だけですと どうしてもお話しが見えて参りません

そこで今日と明日 2日続きで少しご説明いたしますが、本当にややこしいのです。(笑)


雪姫は、祖父の雪舟から 父の雪村に受け継がれた唐土の明帝からの刀を探しております。
(また剣が出てきました・・・笑)

この刀は 父雪村が何者かに殺され 奪われた刀で 滝の流れに
「朝陽でかざせば不動の尊体が見え 夕陽に向かえば龍が現れる」という刀。 
 

これを大膳が雪村とは知らずに 奪うために雪村を殺してしまいます。 
ですから大膳は、雪姫の父の仇敵となります。


そんな雪姫に大膳は横恋慕して 絵を描くか夜鬨をするかを迫ります。

雪姫は龍を見たことがないから 描けないというと 大膳が夕陽に刀をかざすと
滝に龍の姿が現れ 雪姫は大膳が父の仇敵と察します。

本日はここまで!(笑)


ごめんなさい、中途半端なところで 切ってしまいましたが とりあえず ここまでのあらすじは
頭に入れておいてください。




最後に一つだけ 


この物語に重要な役目を担っております刀の名前は 「倶利伽羅丸(くりからまる)」

聞いたことありますか?


そう何日か前の私のブログでも 登場いたしました。
『女暫』でも登場する刀ですが、どうやら、この二つには関連はありません(笑)


これは、「倶利伽羅不動尊」から来ている名称です。 
源義仲の戦いの「倶利伽羅峠」もそこから厳しい頂を表した名称となっております。


『女暫』では「倶利伽羅峠の戦い」を表して命名したもの(もちろん その元は不動尊ですが・・)
『金閣寺』は直接に不動尊から名付けられております。



思いがけなく、昼夜で登場する「倶利伽羅丸」

昼夜でご観劇の方は そこのところもご注目を(笑)



明日は 金閣寺の真相に 近づくことが出来ますかどうか・・・・

それは 私の文章力と 探索力にかかっております(笑)

・・・大丈夫かなあ・・・ここで切って終われるかなあ・・・

私の心のつぶやきです。