『番町皿屋敷』今日は違う視点から見てみたいと思います。

主人公の青山播磨は、旗本。 

別の役職でこの人の名前は歴史にありますが ここでは一応 架空の人物と思ってください。 
旗本は戦国時代に、徳川家康の身辺に居た護衛隊の事です。
旗のそば(所謂、軍旗)に居たので この名が付きました。

徳川家康が敵兵に襲われた時に 身を賭して家康の命を守る親衛隊。ですから大名ではありません

 
江戸時代に入り 戦はなくなりましたが 家康は子孫に対して 禄高は低いのですが、
旗本としての特別な報酬を与え またある程度の地位を 与えました。

これがある意味 旗本に特殊な生き方をさせたのです。


ちょっと歴史的なことを申しますと、大名にも、「親戚」か「関ヶ原以前」か「関ヶ原後」かで
「親藩」「譜代」「外様」などと云う 格の違いがございます。

その大名はどんな格であれ、1万石以上を有しております。

それに比べまして、1万石に満たない直参を「旗本」「御家人」と申しました。
この二つの違いは、おおまかに申しますと、大体の目安では、100石以上か以下か、
大きな違いと申しますと 将軍にお目見えが出来るかできないか。


そう云った部分を整理しながら歌舞伎や時代劇をご覧いただきますと また時代背景も
わかるのではないかと思います。

おおよそ、旗本と申しますと、町奉行、勘定奉行などの奉行職や大目付、お側衆などを
勤めておりました。
が、それも恐らく 旗本でもほんの一部の 人たち。


つまり、青山播磨は、領地としては1万石に満たないのですが、将軍へのお目見えは
辛うじて叶っている そんな身分の人だと思ってください。

貧乏で食うに困っているわけではないが、それ程の地位身分でもない。
いわばとっても中途半端な形の 武士だったのでしょう。



家康が亡くなり 代々の将軍に仕える形にはなっておりますが、もとより戦もなく
地位ばかりを強調せざるを得ません その旗本の次男坊 三男坊ともなると
それほどお金もなく 跡継ぎにもなれず 若さを持て余すと云う 何か今の若者風ですよね(笑)

そしてこれらの若者こそが 時代を闊歩して歩いていく 傾奇者になって行くわけです。

某「暴れん坊将軍」などは 将軍吉宗が 旗本の三男坊「徳田新之助」として 
市井に密着して生きていると云う 伏線と云うか、シチュエーションがございます。

「徳田新之助」は 仮の姿ですが、恐らく本当の 旗本の三男坊だったとしたら、
列記とした 傾奇者 だったのではないでしょうか?



戦国時代 信長は外国のクリスチャンの十字架ネックレスを飾りにしたように
色んなファッションを取り入れ 流行らせるようになりました。

ただ家康の時は、鎖国時代に入りましたから 目に余る十字架などは身に着ける事は
できませんでした。しかし 着物下にワイシャツを着たり 派手な柄のスカーフを巻いたり
ネックレスなどは 巻いており それこそ 時代の先端を行く ファッションを競い合っていたのです。


『番町皿屋敷』のこの青山播磨も そう云った時代に生まれた人として 書かれてございます。


本来は刀の柄は「黒」か「茶」の下げ緒が巻かれて居りますが、播磨たちは刀の柄を白くして
白柄組(しらつかぐみ)と 呼ばれて居りました。

この白柄組の首領は同じ旗本の 水野十郎左衛門。 
『極付 幡随院長兵衛』でもお馴染みの人物です。


この旗本 白柄組 今でいうある程度お金があり 地位も特殊な若者愚連隊(←古い?)でした。
でもこの人たちが 今の歌舞伎の礎を築いております。(笑)

この派手な旗本たちと対立したのが、町奴と呼ばれる町人で結成した人たち。

その頭領が先ほども演目名として 出てまいりましたし、『鈴ヶ森』でも有名な幡随院長兵衛。


この人は元は武士でしたが、上下関係がいやで所謂 侠客となっております。
侠客とは 何と言いますか。。。 歌舞伎では「伊達男」などと申しますが、
本来は口入屋で やくざ稼業です。

日本におけるやくざの発祥と云われている人です。が 
この人 人情に厚い人で 旗本愚連隊に脅されたり 迷惑を蒙っている人たちに
救いの手を差し伸べ 悉く 白柄組などの「旗本愚連隊」に 対立した人たちです。


誰云うとなく 「旗本奴」に対して「町奴」と 云われました。
 
この対立した双方 戦いだけでなく ファッションも対立したのですね(笑)
そっちがそう派手な形(なり)をするなら こっちも目立つ形(なり)をしろ・・と
お互いが競い合いました、 


『番町皿屋敷』序幕はそういった背景での物語なのです。


これどこかの今日の成人式に似てませんか?(笑)
世の中 平和ですと若い人たちはエネルギーのはけ口を探すのでしょうね。(笑)

そんな時代が『番町皿屋敷』の時代だったのです。  


私の若いころは成人式に はけ口を求める若者は居りませんでしたが、
口角泡を飛ばしての 学生運動は盛んでした。

江戸時代の対立した若者たちが 今の歌舞伎の礎を作りました。


本日、成人式を迎えた若者たちが これからの歌舞伎 文化をのようなものの「なにか」を
作っていってくれる事を 願ってやみません