昨日、日本俳優協会のホームページに第20回名題試験 合格者の発表がございました。

名題資格審査試験は8月26日に筆記試験が 東京では歌舞伎座と 
大阪は、あるホテルの一室で、行われ 実技試験は9月27日に
歌舞伎座に於きまして 行われました。


実技試験とは幹部俳優さんたち10数名の中で 与えられた演目のお役と
自分の選んだ演目を その前で演じることです。

そして合格者にはその後に伝えられ11月26日、歌舞伎座貴賓室に於いて
資格審査合格者に対する名題適任証授与式が行われ 財務理事長 中村梅玉丈
立ち合いの元 協会会長の坂田藤十郎丈より 各自に適任証が授与され 
22名もの新名題が誕生致しました。


ただ、「新名題」と云えど名題披露をしないと まだ名題扱いとはなりません
披露しないと 「名題適任証」取得者 と云うだけで 名題ではございません。

このあたりが またややこしいところです。

皆様が一番簡単にお分かりになりますのは 毎年出版されております「かぶき手帳」

名題以上は 舞台写真が載っております。

少し余談になりますが、こちらの舞台写真は 毎年それぞれの希望のモノが掲載されます。
変える希望を出さない場合は 前年と同じものになります。

私は 結構こだわって毎年その一年の印象的なお役の写真を 選んでおります。

さて、来年の かぶき手帳に載りますのは それぞれ どのお役か・・・
そんな予想を楽しみますのも 1つのマニアックな楽しみ方ではないでしょうか。



話が横道に逸れてしまいました。

このかぶき手帳、記事の大きさの違いは やはり幹部さんと 名題の違いなど 色々ございます。

このあたり、熟読されている方は お気づきでしょうか?

ちなみに いわゆる「名題下」さんの中でも 名題適任証を持っていて披露していない方は
こちらに分類はされますが、記事の大きさが違っております。


身分とは申しませんが、やはりはっきりとした差別と違いがあるのも 
この歌舞伎の世界なのです。


今回の名題試験 おもだかや一門も数人の方が受験いたしましたが、残念ながら
合格者は 喜猿さんお一人だけとなりました。

彼もいつ お披露目をするのか? 私もまだ伺っておりません



そんな中 坂東玉三郎さん門下の 坂東玉朗さんが今月一番のりで
歌舞伎座に於いて名題披露をされました。 さぞ嬉しい事と思います。

この事は以前のブログでも 名題試験について や 前回の新名題についてなど
何度か書かせて頂きましたので、そちらをご覧ください。


ただ、今回も合格しなかった方は 合格者より多いと伺いました。

たとえ今回は不合格でも諦めないで さらなる精進を重ねて
次にまた挑戦してもらいたいものです。


そんな中で今回の資格審査日程は おもだかや一門にとっては 大変厳しいものでした。

9月巡業公演千穐楽の次の日の午前中に 只でさえ緊張する実技試験。
午後からはすぐに 新橋演舞場『花形歌舞伎』公演のお稽古でした。

他の方々は東京や大阪の公演で、わりと自身のお稽古にも余裕があるにもかかわらず
おもだかや一門は 毎日移動の巡業公演の最中に各自がお稽古をし 厳しい日程の
当日を迎え さらに試験が終わってからは 新橋演舞場、本公演のお稽古。

正直、名題試験は片手間に受けられるものではありません

しかし、本公演の合間を縫っての審査員の幹部の皆様のスケジュール 
また受験者の舞台等 どうしても そんな泣き言も言えない日程になってしまいます。

まして2年から3年の間の実施期日不定の試験日。
この日を逃すとまた、受験を2.3年待たなくてはなりません 

毎回がそんな中で実施されますので、受験者にはなかなか厳しいものです。

私も 何回も不合格となったのち 平成10年4月、第15回名題試験に於いて、
やっと合格させて頂きました。

そしてその年の7月 旧歌舞伎座に於きまして名題披露をさせて頂きました。
通し狂言『義経千本桜』の中で披露のお役は「鳥居前」の亀井六郎と「四の切」の飛鳥。
この時の川連法眼は、父 冠十郎でした。

その半年後に父は病に倒れ 親子で夫婦を演じましたのは後にも先にも この時だけです。

その父も今月でもう7回忌になります。

もう16年も前になりますが、私はこれからも、まだまだ毎日が勉強の日々です。


日々修行、日々努力。
名題になったからと云って、終着点ではございませんし、まして、定年もございません。
決して終わりのないモノを 追い求め、追い続け、研鑽を積んでいく。


そんな世界なのです、歌舞伎の世界と云うものは。