今月の夜の部『雷神不動北山桜』(なるかみふどうきたやまざくら)
云わずと知れた 市川家の歌舞伎十八番の演目です。

十八番のうち「毛抜」「鳴神」「不動」と云った三つの荒事の演目が
含まれている狂言です。

海老蔵さんが通し狂言として初演されたのが、2008年1月 新橋演舞場に
於いてでした。

まだ亀治郎さんは 猿之助にはなられて居られませんでしたが 猿之助張りに
5役早変わりの手法をとられ 大詰めは大立ち回り「不動」に於いては宙乗りと云う 
歌舞伎十八番のお家としては画期的な 上演の仕方だと思いました。

と云いますのは、同じ市川家でも その昔は、三代目猿之助(猿翁旦那)の 
早変わり 宙乗り等のケレンと云われる 歌舞伎のあり方は、古典的な團十郎家の
お家芸からはある意味 敬遠されていたからです。

それが現在では 海老蔵さんご自身が猿翁旦那の演出の『四の切』
『慙紅葉汗顔見勢(伊達の十役)』を 勤められ さらにご自身のお家芸までも
早変わり 宙乗り等を取り入れられましたのは 本当に画期的な演目と
云わざるを得ません

私もこの初演時と そして次の年の2009年3月の御園座公演 
さらに10月博多座の時にも 出演させて頂きました。 


この後 2012年1月大阪松竹座でも4度目の上演をされましたが、
私は ル・テアトル銀座で 玉三郎さんの公演『妹背山婦女庭訓』に
出演しており その時には出演できませんでした。

今回は、5回目の上演とあり すっかり以前のお役ででも
出演させて頂けるものと思っておりましたが・・・。


ですがここで、ちょっとお話の方向を替えさせて頂きます。(笑)

2008年1月の『雷神不動北山桜』初演時 この時期を 
覚えておられるお方は少ないでしょうか?(笑)

実は2008年2月1日に この『市川猿三郎二輪草紙』を立ち上げさせて頂きました。

その次の3月から始まる 4ヶ月連続の右近さんバージョンでの『ヤマトタケル』に
於きまして、 私 二代目、市川猿三郎を襲名させて頂いたのです。

そう、この2008年1月『雷神不動北山桜』は私の前名、市川延夫 最後の舞台でした。(笑)
そんなに大層に云う事ではないのですが・・・(笑)

ブログを立ち上げるにあたって ちょうど試行錯誤していた時期が『雷神不動北山桜』の
公演時だったのです。

先日の門之助さんをご紹介させて頂いたブログの時に書かせて頂いた
「三日坊主にならないように・・・」と 云うアドバイスは 
実にこの時に頂いたのです。 

(後日談 そのお話を先月させて頂いたところ 門之助さん 私のブログを
読んでくださり ご自身が なかなかブログを更新できない・・と 
恐縮されておられました・・・笑)


もう7年半にもなるのですね(笑)


この2008年時は昼夜同一演目で、今回5度目の上演ですが 
夜の部だけで上演されるのは 今回が初めてです。

市川延夫で初演から出させて頂き その後猿三郎で、計3回 出演させて頂きましたが、
一度 持ち役を明け渡してしまうと 5回目に同じお役と云うのは 
なかなか難しいものですね(笑)
 

そんな因縁の『雷神不動北山桜』の狂言でした・・・。