先日コメント欄に、
夜の部『四天王楓江戸粧』の幕開きの口上に、流れている黒御簾の唄は、
なんと歌っているのですか?
確かスーパー歌舞伎『空ヲ刻ム者』の口上の時にもその曲が流れ、その時は、
「聚楽第」と云う歌詞があったかと思います。
と云った内容の御質問を頂きました。
昨年のおもだか屋一門 襲名披露巡業の 黒御簾音楽を紹介した折に
この「おもだか音頭」の事、ちかいうちにご紹介致します。
と、書きましたが、とんと失念致し、1年以上も経ってしまいました。
確か、まだ紹介していなかったように思います。
お詫び申し上げます。
ちょうど良い機会ですので、改めてご説明させて頂きます。
この、ブログを書かせて頂くにあたって、以前にも助けて頂いた
黒御簾音楽の三味線さん 杵屋榮七郎さんに、多大なご協力を頂きました。
ありがとうございました。
皆様も猿之助歌舞伎をご覧になられた際、一度くらいは、お聞きになられた事が
あるかと存じます。
大体は幕開きの口上で使われる事が多いのですが、歌詞としては
この様になっております。
『流れも清き 随市川の 香りもここに、おもだかの、萬代までも栄えんと~』
と、云う歌詞です。
「随一」と「市川」が かかっております。
大方は幕が途中で開ききってしまう為に、「おもだかの」の所を
「おもだか屋~」で、歌いきってしまうことが多いのです。
この曲自体は、藤間の舞踊会でも何回か、みんなで踊らせて頂いた
総踊りの『歌舞伎草紙』と云う曲で、元唄は、
『お帰りあるか 名古さん様は、送りもうそよ、 木幡まで、木幡山路に行きくれて(二人伏見の草枕~) 』
と云う歌詞です。
名古さん様とは、名古屋山三郎の事、歌舞伎草紙ですから、出雲の阿国から
見た唄でしょうか?
私の記憶が正しければ、この曲(唄)は1979年(昭和54年)の『伊達の十役』
明治座初演の時、替え歌として使われたのが最初ではないかと。
そして 詩を書かれたのが、先日、亡くなられた奈河彰輔さんではなかったか?・・・と
この時、当時の明治座のすぐご近所に浜町会館(検番)がありました。
前月のお芝居がまだ公演中だったために、私たちの明治座のお稽古はこの検番で行われました。
連日の『慙紅葉汗顔見勢(伊達の十役)』のお稽古中だったと記憶しております。
猿翁旦那が 黒御簾音楽の責任者であった杵屋榮五郎さん また 私の友人で同輩の榮一郎さん親子と
当時の唄の方とかが寄り集まっておられまして
「何か幕開きの口上で 新しい”おもだかの曲”となるよい唄は ないものか?」
と 試行錯誤して居られたのを覚えて居りました。
確か この唄が出来たのは 明治座のお稽古のあったあの時だなあ~?と 思いまして、
それを知る人を 確認のためにいろいろと探しました。
ですが、残念なことに その時には 我がブレーン(笑)榮七郎さんは、まだ 居られず
今では、黒御簾音楽の中で その経緯をご存知の方も、ほとんど居られないと云う事が 判明いたしました。
このこと、榮七郎さんから伺い 逆に 私はびっくり致しました。
正直 私の記憶だけで いろんな確認が取れないままのですが、
かろうじて関西の狂言方の竹内弘さんから 「いやおそらく 猿三郎さんの云った通りやと思う!」
という 確証だけを得て 今日のブログを 書かせて頂きました。
奈河彰輔さん。
先日 お亡くなりになられたのですが 私 この方には 一方ならぬお世話になっております。
ですが ご親族のお思いも多くあられ この方の思い出は 後日 改めて書かせて頂きます。
それにしても月日が経つと 今まで当たり前だった事が その源すら分からない
と云う事が知れ なるほど 歌舞伎というものの根源は こう云う風に作られ
その経過は残って行くが そこに携わった人たちは 記録もなく消えて行くのか・・・
と 改めて思い知らされました。
実は、先ほどおもだか音頭と 元唄を並べて書かせて頂きましたが 「(二人伏見の草枕~)」
の部分を ()でくくらせて頂きました。
おもだか音頭のここにあたる歌詞が わからないのです。
恐らく厳密に申しますと、どこかに ご存知の方はおられるのでしょうが、
今日私が舞台の間に 明治座内で心当たりの限り、色々な方に聞きましたが
ご存知の方は おられませんでした。
ここは いったい何だったのでしょうか。
それくらいの時が経ってしまったということでしょうか・・・
お話が逸れてしまいました。
この おもだか音頭 先月の『獨道中五十三驛』の幕開き 等々などでも
ひっきりなしに 唄われております(笑)
是非とも幕開きから舞台に集中して 聞き取ってくださいませ。
そして今年3・4月のスーパー歌舞伎『空ヲ刻ム者』の時には 口上での黒御簾音楽、
このような 歌詞になって居りました。
『流れも清き 京聚楽第~ 香りもここに おもだか屋~!』 と
これは 覚えておられる方も多いのではないでしょうか?
さて、この謎解き、ピンと来られた方も 多いかも??
これは、まさに 歌舞伎の遊び心でございます。
「聚楽第」は 豊臣秀吉が京都に作った邸宅。
時代は非常に前後いたしますが 主人公の友、佐々木蔵之助さん演じる一馬が「都」を
目指して突き進んでいく様子を 暗示しております。
そして、勿論もう一つ!!!
演舞場の初日は 3月5日。
その前日の3月4日に 佐々木蔵之助さんのご実家 佐々木酒造が 作られた「聚楽第」というお酒が
「ワイングラスでおいしい日本酒アワード2014《大吟醸酒部門》金賞」を受賞致しました。
その純米大吟醸「聚楽第」にかけて 流れも清き と よいお酒! 香りもここに!
と おもだか屋~ の共演。
これを口上での曲として 黒御簾音楽として流したのです。
どうです? この 粋な遊び心!
勿論、あまりにもはまり過ぎる符丁ですので、金賞受賞は まさにドンピシャ! タイミングばっちり!
であったのだとは思うのですが、この佐々木さんのご実家のお酒とかけたことは 間違いありません。
コメントを頂きました薫さん ご納得 頂けましたでしょうか?(笑)
夜の部『四天王楓江戸粧』の幕開きの口上に、流れている黒御簾の唄は、
なんと歌っているのですか?
確かスーパー歌舞伎『空ヲ刻ム者』の口上の時にもその曲が流れ、その時は、
「聚楽第」と云う歌詞があったかと思います。
と云った内容の御質問を頂きました。
昨年のおもだか屋一門 襲名披露巡業の 黒御簾音楽を紹介した折に
この「おもだか音頭」の事、ちかいうちにご紹介致します。
と、書きましたが、とんと失念致し、1年以上も経ってしまいました。
確か、まだ紹介していなかったように思います。
お詫び申し上げます。
ちょうど良い機会ですので、改めてご説明させて頂きます。
この、ブログを書かせて頂くにあたって、以前にも助けて頂いた
黒御簾音楽の三味線さん 杵屋榮七郎さんに、多大なご協力を頂きました。
ありがとうございました。
皆様も猿之助歌舞伎をご覧になられた際、一度くらいは、お聞きになられた事が
あるかと存じます。
大体は幕開きの口上で使われる事が多いのですが、歌詞としては
この様になっております。
『流れも清き 随市川の 香りもここに、おもだかの、萬代までも栄えんと~』
と、云う歌詞です。
「随一」と「市川」が かかっております。
大方は幕が途中で開ききってしまう為に、「おもだかの」の所を
「おもだか屋~」で、歌いきってしまうことが多いのです。
この曲自体は、藤間の舞踊会でも何回か、みんなで踊らせて頂いた
総踊りの『歌舞伎草紙』と云う曲で、元唄は、
『お帰りあるか 名古さん様は、送りもうそよ、 木幡まで、木幡山路に行きくれて(二人伏見の草枕~) 』
と云う歌詞です。
名古さん様とは、名古屋山三郎の事、歌舞伎草紙ですから、出雲の阿国から
見た唄でしょうか?
私の記憶が正しければ、この曲(唄)は1979年(昭和54年)の『伊達の十役』
明治座初演の時、替え歌として使われたのが最初ではないかと。
そして 詩を書かれたのが、先日、亡くなられた奈河彰輔さんではなかったか?・・・と
この時、当時の明治座のすぐご近所に浜町会館(検番)がありました。
前月のお芝居がまだ公演中だったために、私たちの明治座のお稽古はこの検番で行われました。
連日の『慙紅葉汗顔見勢(伊達の十役)』のお稽古中だったと記憶しております。
猿翁旦那が 黒御簾音楽の責任者であった杵屋榮五郎さん また 私の友人で同輩の榮一郎さん親子と
当時の唄の方とかが寄り集まっておられまして
「何か幕開きの口上で 新しい”おもだかの曲”となるよい唄は ないものか?」
と 試行錯誤して居られたのを覚えて居りました。
確か この唄が出来たのは 明治座のお稽古のあったあの時だなあ~?と 思いまして、
それを知る人を 確認のためにいろいろと探しました。
ですが、残念なことに その時には 我がブレーン(笑)榮七郎さんは、まだ 居られず
今では、黒御簾音楽の中で その経緯をご存知の方も、ほとんど居られないと云う事が 判明いたしました。
このこと、榮七郎さんから伺い 逆に 私はびっくり致しました。
正直 私の記憶だけで いろんな確認が取れないままのですが、
かろうじて関西の狂言方の竹内弘さんから 「いやおそらく 猿三郎さんの云った通りやと思う!」
という 確証だけを得て 今日のブログを 書かせて頂きました。
奈河彰輔さん。
先日 お亡くなりになられたのですが 私 この方には 一方ならぬお世話になっております。
ですが ご親族のお思いも多くあられ この方の思い出は 後日 改めて書かせて頂きます。
それにしても月日が経つと 今まで当たり前だった事が その源すら分からない
と云う事が知れ なるほど 歌舞伎というものの根源は こう云う風に作られ
その経過は残って行くが そこに携わった人たちは 記録もなく消えて行くのか・・・
と 改めて思い知らされました。
実は、先ほどおもだか音頭と 元唄を並べて書かせて頂きましたが 「(二人伏見の草枕~)」
の部分を ()でくくらせて頂きました。
おもだか音頭のここにあたる歌詞が わからないのです。
恐らく厳密に申しますと、どこかに ご存知の方はおられるのでしょうが、
今日私が舞台の間に 明治座内で心当たりの限り、色々な方に聞きましたが
ご存知の方は おられませんでした。
ここは いったい何だったのでしょうか。
それくらいの時が経ってしまったということでしょうか・・・
お話が逸れてしまいました。
この おもだか音頭 先月の『獨道中五十三驛』の幕開き 等々などでも
ひっきりなしに 唄われております(笑)
是非とも幕開きから舞台に集中して 聞き取ってくださいませ。
そして今年3・4月のスーパー歌舞伎『空ヲ刻ム者』の時には 口上での黒御簾音楽、
このような 歌詞になって居りました。
『流れも清き 京聚楽第~ 香りもここに おもだか屋~!』 と
これは 覚えておられる方も多いのではないでしょうか?
さて、この謎解き、ピンと来られた方も 多いかも??
これは、まさに 歌舞伎の遊び心でございます。
「聚楽第」は 豊臣秀吉が京都に作った邸宅。
時代は非常に前後いたしますが 主人公の友、佐々木蔵之助さん演じる一馬が「都」を
目指して突き進んでいく様子を 暗示しております。
そして、勿論もう一つ!!!
演舞場の初日は 3月5日。
その前日の3月4日に 佐々木蔵之助さんのご実家 佐々木酒造が 作られた「聚楽第」というお酒が
「ワイングラスでおいしい日本酒アワード2014《大吟醸酒部門》金賞」を受賞致しました。
その純米大吟醸「聚楽第」にかけて 流れも清き と よいお酒! 香りもここに!
と おもだか屋~ の共演。
これを口上での曲として 黒御簾音楽として流したのです。
どうです? この 粋な遊び心!
勿論、あまりにもはまり過ぎる符丁ですので、金賞受賞は まさにドンピシャ! タイミングばっちり!
であったのだとは思うのですが、この佐々木さんのご実家のお酒とかけたことは 間違いありません。
コメントを頂きました薫さん ご納得 頂けましたでしょうか?(笑)