『金幣猿島郡』に登場する源頼光(みなもとのよりみつ)。

頼光とは、「らいこう」とも読み ある意味 歌舞伎には無くてはならない人物。


源義経 源義家と云った源氏の大将の中でも 歴史的には一番古い人でしょうか?

清和源氏の三代目だそうです。


歌舞伎では、源氏と申しますと どこまで行っても 義経や義家と、
大将や将軍などのような人が出てまいりますので 
「源氏=凄く偉い人」という印象があるのではないかと思います。

いえ、歌舞伎に限らず、案外世間一般の印象では そうなのでしょうか。


ですが、ちょっと歴史的なことを申しますと、もともと源氏と云うのは
平安時代初期、天皇の子供や孫の中で 身分の低い奥さん(一夫多妻制です)から
生まれた子供が いわゆる「皇族」から「臣下」の地位になった時に
賜った苗字の一つです。

イメージとしては ご存知「源氏物語」 これはまさに「天皇の息子」が
新たに源氏になった・・・その人を主人公とした物語です。


最初は確かに「天皇の息子」ですが、時代を経ますと、孫・ひ孫・玄孫・・・
無限の「源」氏が 生まれてくるわけなのです。


従いまして、平安時代中期あたりの源氏の武将の格づけは 
公卿よりもかなり下に扱われ ただの地方の豪族 守備隊に他ならない人たちが
大多数を占めておりました。


この歴史を ちょっと頭の片隅に置いていただきまして・・・
 

今日のブログの主人公 源頼光は清和天皇の孫が「源」氏を賜った末裔、その3代目ですから、
天皇の玄孫です。
主人は、藤原兼家、道長 頼通。 この三代に仕えております。

この道長 頼通の時代が藤原全盛を極めた時代です。 
宇治の平等院鳳凰堂などの造成は この頼通の時代です。


それが後年平安も後期になりますと、公卿の力が無くなって来て 武士の力が強まり
敵対勢力であった同じく皇族から出た一族である平家も滅び 
義経や頼朝が源氏の格を上げ、幕府を開いたと云う事で 
それよりも以前の源氏の人たちも 脚光を浴びる様になりました。


確かに個人個人としての活躍は それぞれの時代でしていたのでしょうが、
特に 取り上げられるようになったのは これ以後でしょうか?

真偽のほどは明らかではありませんが、徳川家も 源氏の末裔を自称して
おりますことは・・・関係あるような?ないような??

ご想像にお任せいたします。(笑)



 
話がちょっと横道にそれてしまいましたが 江戸時代には この源氏の多くの物語が登場して 
歌舞伎でも多く取り上げられるようになりました。


この源頼光、来月11月の明治座公演『四天王楓江戸粧(してんのうもみじのえどぐま)』にも
登場しております。

この頼光の四天王である、渡辺綱、坂田金時、碓井貞光 卜部季武の四人に関する
物語り と云う御芝居で 当然 ご主人である源頼光も 独(ひとり)武者である
平井保昌も出て参ります。


このあたりの人々 逆に史実的にはっきりしない部分が多い人たちなので、
お話を作りやすいのかも知れません 



昨日も書きましたが、渡辺綱が一条戻り橋の鬼女 実は茨木童子、を退治したり 
頼光と四天王 平井保昌で土蜘蛛を退治したり 酒天童子を退治したり
坂田金時が山姥を退治したり と お話はいくらでも 膨れ上がります(笑)

この四天王の事はまた来月にでも・・・。



さて、昼の部をご覧になってない方には ??? かも知れませんが
ちゃんと 今月もこの 頼光登場しております。

ご覧になった方は この時点で すでにお気づきでしょう。



源頼光 今月のお芝居『金幣猿島郡』では文殊丸として登場致しますが、
これは事実、頼光の幼名です。



序幕で、名前も知らないある男に惚れて 盲となった清姫が 一目惚れした男性が
この文殊丸。

また 二幕目 藤原忠文が将門の討手を放棄したのは 忠文が惚れている将門の妹 
七綾姫に 兄を討たないでくれと 頼まれたから・・・。


そして、忠文の惚れている七綾姫が、心から愛する人物が この源頼光で 
忠文 清姫 共に恋敵。

振られた者同士の恨みが 女は邪体となり 男は鬼となってこの二人が
ひとりの人物なって 源頼光 七綾姫を追いかけます。 



『金幣猿島郡』の怨みの根元を作っているのが この源頼光かも知れませんね(笑)



今日の写真は、清姫も七綾姫も 確かに惚れるであろう、源頼光役の門之助さんです。

イメージ 1



舞台面からは 爽やかな印象しか残らない源頼光です。(笑)


実は来月『四天王楓江戸粧』での源頼光のお役も 門之助さんです。

2カ月続けて 同じお役を違うお芝居で演じられるのも 珍しいことですね(笑)