今日は京都から通いの静岡の公演。静岡市民文化会館に参りました。

イメージ 1


正直、京都から往復するより 東京から往復する方が、早いし楽です(笑)
ま、しかたありません


静岡の街は徳川時代はもちろん晩年の、家康の居城としての駿府城下町。

関ヶ原の合戦(1600年)が終わり 徳川の時代が盤石になったのを見届けて1605年

将軍職を我が子、秀忠に譲り 家康はここ駿府城にて1615年に亡くなるまで
晩年を過ごしました。

ま、間で大阪冬の陣 夏の陣はありましたが・・・家康公も最後までゆっくり出来なかったかも・・・?

やはりここは家康公には拝謁をしないと・・・。(笑)

イメージ 2



駿府城跡は 今では誰でもの憩いの場所となっている 駿府城公園として
開放されております。

ですから天守閣はございませんが、御濠からの城壁は当時を思わせる物がございます。

イメージ 3


イメージ 4


そして その後に私が参りましたのは 駿府城公園前の静岡県庁別館。

イメージ 5


ここは、21階がパノラマ展望台として 無料で一般開放されております。
360度のパノラマが楽しめますが、今日は残念ながら富士山は望めませんでした。

イメージ 6


家康が愛した駿府はその昔 竹千代時代の幼少の頃に 今川義元の人質となっていた所。

それが後年 江戸で幕府を開いた後 かっての人質時代の場所で 悠々自適の晩年を
過ごしたのは どう云う気持ちだったでしょうね。

感慨深いものがあったと思います。

駿府の名前が明治に入って 静岡と名を変えたのは 駿河府中と云う名前の府中が
どこにでもあると云う事と 府中が不忠に繋がる為に 名の変更を決めたそうです。

そして駿府城裏のお山 浅間神社のある浅間山 その横の賤機山の賤ゲ丘から
賤岡としましたが 賤の字が、いやしいに当てはまると 静岡と云う地名になったそうです。



その名前の由来がこの写真

イメージ 7



こうして高い所から見下ろすことが出来ますと、町の様子がより一層わかりますね。


このブログは例によって 京都へ帰る新幹線の中で書いております。
ひかりから、名古屋でのぞみに乗り換えて 再び京都へ・・・。

さあ、今日が終わり公演数もあと片手の5回、やっと先が見えて参りました。