今日は京都から通いの静岡の公演。静岡市民文化会館に参りました。
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20190630/11/enzaburou/cd/fc/j/o0400030014486073362.jpg?caw=800)
正直、京都から往復するより 東京から往復する方が、早いし楽です(笑)
ま、しかたありません
ま、しかたありません
静岡の街は徳川時代はもちろん晩年の、家康の居城としての駿府城下町。
関ヶ原の合戦(1600年)が終わり 徳川の時代が盤石になったのを見届けて1605年
将軍職を我が子、秀忠に譲り 家康はここ駿府城にて1615年に亡くなるまで
晩年を過ごしました。
晩年を過ごしました。
ま、間で大阪冬の陣 夏の陣はありましたが・・・家康公も最後までゆっくり出来なかったかも・・・?
やはりここは家康公には拝謁をしないと・・・。(笑)
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20190630/11/enzaburou/3e/4b/j/o0400030014486073371.jpg?caw=800)
駿府城跡は 今では誰でもの憩いの場所となっている 駿府城公園として
開放されております。
開放されております。
ですから天守閣はございませんが、御濠からの城壁は当時を思わせる物がございます。
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20190630/11/enzaburou/aa/51/j/o0400030014486073378.jpg?caw=800)
![イメージ 4](https://stat.ameba.jp/user_images/20190630/11/enzaburou/eb/28/j/o0400030014486073382.jpg?caw=800)
そして その後に私が参りましたのは 駿府城公園前の静岡県庁別館。
![イメージ 5](https://stat.ameba.jp/user_images/20190630/11/enzaburou/35/8d/j/o0400030014486073389.jpg?caw=800)
ここは、21階がパノラマ展望台として 無料で一般開放されております。
360度のパノラマが楽しめますが、今日は残念ながら富士山は望めませんでした。
360度のパノラマが楽しめますが、今日は残念ながら富士山は望めませんでした。
![イメージ 6](https://stat.ameba.jp/user_images/20190630/11/enzaburou/29/6c/j/o0400030014486073397.jpg?caw=800)
家康が愛した駿府はその昔 竹千代時代の幼少の頃に 今川義元の人質となっていた所。
それが後年 江戸で幕府を開いた後 かっての人質時代の場所で 悠々自適の晩年を
過ごしたのは どう云う気持ちだったでしょうね。
過ごしたのは どう云う気持ちだったでしょうね。
感慨深いものがあったと思います。
駿府の名前が明治に入って 静岡と名を変えたのは 駿河府中と云う名前の府中が
どこにでもあると云う事と 府中が不忠に繋がる為に 名の変更を決めたそうです。
どこにでもあると云う事と 府中が不忠に繋がる為に 名の変更を決めたそうです。
そして駿府城裏のお山 浅間神社のある浅間山 その横の賤機山の賤ゲ丘から
賤岡としましたが 賤の字が、いやしいに当てはまると 静岡と云う地名になったそうです。
賤岡としましたが 賤の字が、いやしいに当てはまると 静岡と云う地名になったそうです。
その名前の由来がこの写真
![イメージ 7](https://stat.ameba.jp/user_images/20190630/11/enzaburou/9b/25/j/o0400030014486073405.jpg?caw=800)
こうして高い所から見下ろすことが出来ますと、町の様子がより一層わかりますね。
このブログは例によって 京都へ帰る新幹線の中で書いております。
ひかりから、名古屋でのぞみに乗り換えて 再び京都へ・・・。
ひかりから、名古屋でのぞみに乗り換えて 再び京都へ・・・。
さあ、今日が終わり公演数もあと片手の5回、やっと先が見えて参りました。