今日のブログ、実は今月の18日に書いてアップするつもりでした。
でも温め過ぎて 今日になってしまいました。(笑)

なぜ18日か? その答えは後ほどに・・・。



私の年代の子供の頃 源頼朝が鎌倉幕府を開いたのは1192年(イイクニ)と
教えられました。

しかし、現在ではそれよりも何年か前の年が 平安時代が終わり、武士の世の中になった
となりました。

覚えたはずの歴史を後から変えられて 今更そんなこと云われても 
私はすぐには納得しかねますが・・・・(笑)

歌舞伎には大事な事なので・・・。



源頼朝が、御触れを出して 弟の義経を奥州衣川で藤原泰衡に討たせたのが1189年。

そして頼朝がこの後 征夷大将軍となり原因不明での死去となるのが1199年。頼朝51歳。


この時に第2代征夷大将軍となり、鎌倉幕府を聞き継いだのが頼朝の子 18歳の頼家。
そしてこの頼家も21歳で 修禅寺で暗殺されます。

鎌倉時代と云うのは その後 北条氏が引き継いで1333年 15代まで 141年つづきますが、
幕府の立役者の頼朝(源氏)は 義経追討からわずか10年で 幕引きとなったのです。


平家を倒した栄光ある源氏は その後の一族の不幸と なにか因縁めいた
血生臭ささえ感じる 結果となった訳です。

この後、源氏の末裔は戦国時代まで なんとか生残りますが 華々しい源平の戦いの源氏は
平家滅亡の後 すぐに時代から消えてしまうのも 哀れですね。 

もし歌舞伎が無かったら 源氏のこの有様さえ 水泡でしたでしょうか?


今日の写真は上様 2代征夷大将軍 のお役 源頼家の月乃助さんです。

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下田五郎は何か嫌な予感があったとしても この上様を守り切る事ができず
逆に五郎自体も討ち死にをしております。



先の問題の答えですが、7月18日

これは、頼家が暗殺された日で、今から810年前の夏の日でした。


頼家も、望みの面を手に入れ、優しく美しい女性を手に入れて、さらに湯に浸かってのまさに至福の時、
いったいどんな気持ちだったのかなあ?と 思わずにはおられません。


10年前の前回歌舞伎座での上演に続きまして また 暑い中での『修禅寺物語』

私は 襲う側だった前回 金窪兵衛とは全く違う 今度は守る側の立場で 勤めさせて頂いております。


810年前も また こんな暑い夏の日だったのかな?と思いながらの毎日です。


ちょっと、日をおいて 内容が熟成してしまいましたが、梅雨も明け、暑い日が続き、
本来の頼家の命日(旧暦ですので、新暦で表すと8月14日です)に近い気温の中で
このブログを書けましたので、結果オーライということで(笑)許してくださいませ。