全国に大雨をもたらした台風8号。その台風が過ぎさったと思えば 
急に日差しが強くなり 猛暑日の到来、そうかと思えばまた梅雨に逆戻りの肌寒さ
季節を行き来しております 今日この頃。

ここの所の季節は目まぐるしく変わり 皆様の体調管理も大変だと思います。


私のブログのコメント欄でも 皆様から事の他 私への体調を御心配下さる内容が
多く見られ 本当にありがたい事です。ありがとうございます。

只今の所 夜の部だけですが 毎日元気で歌舞伎座へ通わせて頂いております。(笑)



私がひと月公演で歌舞伎座に通わせて頂くのは、実に5年ぶりです。

2009年12月 旧歌舞伎座での勘三郎さん主演の『野田版 ねずみ小僧』が
歌舞伎座最後の舞台でした。

それから旧歌舞伎座閉場 新生歌舞伎座開場で その間、実に色んな事がございました。

休館を挟みまして、4年半の年月。
今月、7月公演において また嬉しい楽屋見舞いを頂戴致しました。

毎年 この時期になりますと必ずと云っていい程 送って下さるお客様が おられます。
本当に例年楽しませていただいております。

窓の無い楽屋にはあまりにも勿体なく いつも持ち帰らせて頂いております。
しかも今月は 午後にしか楽屋におりませんので さすがに これは もったいないです。


それは入谷の朝顔市から送って下さる 朝顔の鉢植え。
その朝顔が今日も 綺麗なお花を咲かせておりました。

イメージ 1



朝顔は 日差しの強い晴れよりもやはり この梅雨空が似合います。


「露のひぬ間の朝顔を 照らす日影のつれなきに 哀れひと村雨の はらはらとふれかし」


とは歌舞伎でも有名な『生写朝顔話(朝顔日記)』での悲恋の物語の中の一節。

秋月家の娘 深雪は蛍狩りに舟で出た折に知り合った 宮城阿曾次郎を慕っておりました。 

お互いの気持ちを書いて 別れる時に渡した扇子の唄。


1年後に仕官した阿曾次郎が駒沢次郎左衛門と名を変え 深雪に縁談を持ちかけますが
旧姓を名乗らず まさかそれが阿曽治郎とは知る由もなく 深雪はうちを飛びだしてしまいます。 

そして身を投げようとした時に 助けられた老女に 身を売られそうになったり 
流浪するうちに 泣きつぶれて盲しいとなり 落ちぶれて角付芸人 朝顔と云う名前になって 
島田宿のある旅籠で かっての恋人と再会をしますが 目のつぶれた深雪(朝顔)は 
それが阿曽次郎とは知りません

その前で琴を弾きながら 身の上話を唄います。


阿曽次郎は それがかっての深雪と知るのですが 隣に居る敵役の相方の手前 
名乗る事も許されず すれ違いの中 唄を書いた、かっての扇子を主人に渡し 
その場を後にします。



その後 盲しいとなった朝顔(深雪)がその家の主人に 扇子の句を読んで貰うと
宮城阿曽次郎が 朝顔の扇子に書いた先の唄。

そして扇子には宮城阿曽次郎事、駒沢次郎左衛門 と書かれてあります。



さっきの人がかっての恋人と知り 目も見えないながら 気も狂わんばかりに 後を追うのですが・・・・。

と ここから先は、いつかこのお芝居がどこかでかかった時に ご覧くださいませ(笑)




この『生写朝顔話』は平成4年9月1・2日に、第1回『笑也の会』として 
吉祥寺の前進座劇場で上演されました。


もちろん笑也さんの深雪(朝顔)錦之助(当時 信二郎)さんの宮城阿曾次郎(駒沢次郎左衛門)
私は敵役の岩代多喜太を勤めさせて頂きました。 

美男美女の朝顔日記 いい御芝居の会でした。

もう22年も歳月が流れているのかと 改めて驚きます。



先に書きました歌は、熊澤蕃山の作った今様。

今も筝曲で唄われておりますが、ここから派生させて物語として 近松徳三が、山田案山子やまだあんざんし)
と云う名前で書いた作品です。



「露の乾かない間の早朝を咲きほこっている 早朝の花はいつまでも咲いていてほしいと思うのに、
 
 日の光は容赦なく照りつけて、早くも朝顔をしおれさせてしまふ。

 ああそのしをれない中に 村雨が降ってくれればよいのに。」


昔のお芝居を思い出させてくれ そんな気持ちにしてくれた今日の朝顔でした。 

まだまだ、新しい蔓には たくさんの蕾がひしめいております。
毎朝の 朝顔日記  決して記録に残すわけではございませんが、ベランダに出るのが楽しみです。