今日の名古屋は、全国で一番の暑さだったそうです。

その名古屋から名鉄に乗りまして やって来ました知立市(ちりゅうし)。

この知立と云う書き方は明治になってからで 江戸時代には池鯉鮒(ちりゅう・ちりふ)と文字を
書いていたそうです。

もっとも、池鯉鮒になる前は もともとは「知立」という字を使っていたそうですが・・・



今日の公演場所も知立市ですが、会館の名前は パティオ池鯉鮒。(知立市文化会館)

イメージ 1


イメージ 2



先の江戸時代の地名の話を知らなければ 読むこともできなければ、意味も分からない
そんな会館名ですが、昔からの意味のある地名が どんどんと 「中央」「東西南北」などの味気ない地名に
なってしまうのが多い昨今 昔の名が 会館で残っているのは とてもいいことでは ないでしょうか。


今日の会館の周りはまだ、田んぼや畑が多く残り カエルの鳴き声なども聞こえ
如何にも地方の会館と云う印象です。(笑)



ところで、この池鯉鮒と云う書き方と場面 どこかで聞き覚えはございませんか?(笑)



そう、通し狂言『獨道中五十三驛』での化け猫の登場する場面が ここ池鯉鮒なのです。

池鯉鮒で事件がおこり 岡崎の無量寺が化け猫の本性を現す所。

昔から映画でもよく「岡崎の化け猫」として 猫怪が登場する作品は多いですが、
十二単衣  緋の長袴を着た猫怪が 宙乗りで花道を飛んでいく描写は 
歌舞伎が圧倒的にインパクトがございます。


猿翁旦那 右近さん 巡業では歌六さんも演じられ 何回も上演されているこの作品、
ご覧になられたお客様も 大勢おられる事でしょう。


またいつか『獨道中五十三驛』 再演があるといいですね(笑)


そして今日の会館も新しいのですが、そんなに大きくはなく 私たちの楽屋も
リハーサル室を応用致しております。

イメージ 3


イメージ 4


廊下と今日の私たちの楽屋です。


地方の会館ですと 多数の人数を収容する場合は リハーサル室やお稽古場などを
初めから楽屋代わりに使用する多目的な使い方で造られているようです。


そして 今日の写真は今月の『太閤三番叟』で、真柴久吉役で登場の
市川右近さんです。

イメージ 5



右近さんは2007年6月 中日劇場。2009年3月 新橋演舞場。
2011年3月 南座と 立て続けに『獨道中五十三驛』を上演され、
十二役早替りはもちろん 池鯉鮒 岡崎の化け猫も演じられました。

ここ知立(池鯉鮒)とはご縁の深い(笑)方ですね。  


今回は 東海道ではなく どちらかというと 北陸道を来た 私達の巡業は 
明日は一旦、京都に参りますが・・・

そこで終わりではなく 少し戻り、今度は さらに上方周辺をうろうろ致しまして
さらに西のほうに参ります。


旅はまだまだ 続きます。