今日は、南越谷のサン・シティホールです。

ここの会館は、何回も来た事がございます。

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複合施設ですので レストランやショッピングセンターなどと併設しているので
劇場と云う感じはしないかも知れません


以前のスーパー歌舞伎シリーズのお稽古場も 近くの蒲生でして、ここからすぐの所でした。

バイクで来る時に そのお稽古場の前を通りまして 懐かしく感じました。

『オグリ』『八犬伝』『新・三国志』シリーズや『ヤマトタケル』の再演では
ひと月、蒲生のお稽古場を使い、最寄りの駅はこの武蔵野線の南越谷の駅でした。

あの頃に比べると 周りの環境も随分違い 賑やかに綺麗になりました。



さあ、巡業の通いも今日までで、明日からはいよいよ出発です。


今回の初めの演目、『太閤三番叟』は、1981年 4月、明治座の昼夜での通し狂言
『千成瓢猿顔見勢(せんなりひさご ましらのかおみせ)《裏表太閤記》』の際に
大喜利所作事 として創作された舞踊でして、本来の三番叟とは少し趣が違います。


初演時はもちろん 真柴久吉を猿翁旦那が演じられ 忍びのカラミは当時、
米吉(現・歌六)さん 信二郎(現・錦之助)さん 光輝(現・又五郎)さん 
そして右近さんの四人で そうそうたるメンバーで踊られました。

祝いの席の踊りに久吉自身が舞台に上がり 舞を舞っている所へ 
柴田勝家の刺客の忍び四人が登場して 曲に合わせて立ち回りを繰り広げると云う
異色の三番叟です。



今回は右近さんの真柴久吉に 忍びの四人、今ではもうすっかり
おもだかや立ち回りのベテラン連が勤めます。

今日の写真はその忍びのカラミ 四人衆です。

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上段 左から猿琉さん 喜猿さん 下段 左から猿若さん 喜之助さんの四人です。

彼らもまた 後輩の良き手本となって行く事でしょう。


ちなみに、初演時にはこの前の場面が 大徳寺焼香の場で、三法師丸役で 現猿之助さんが
まだ本名の喜熨斗孝彦の名前で 出演されておりました。(笑)

猿之助さん その時 5つでしょうか・・・


時の経つのは 早いものですね。
私にとっては ついこの間の話の様な気がします。

ちなみに この時猿之助さんは 本名での舞台。 私もまだ本名でした。(笑)


本名仲間でした猿之助さんと 35年近く経った今でも 一緒の舞台に立ってますこと、
嬉しく思います。