いまさらですが ネタバレ注意の内容です(笑)




『空ヲ刻ム者』で私、扮する玄和の 一番の理解者は 妻の菖蒲でしょう。


不治の病で 臨終の時にも居ない玄和ですが、おそらく そばに居てあげたくても
そばに居ると気持ちが動揺して 何をしていいのかも分からず、
それで 工房に籠りきりとなり 仏像を彫ることで その悲しみを
和らげていたのだと思います。

菖蒲が少しでも 安楽に導かれるように、それを・・・それだけを祈りながら。



最愛の妻を失って一番悲しいのは 十和と同様 玄和であった筈ですが
素直に悲しみを表現できません 
立場ゆえ、父であり、夫である前に 一つの工房を束ねている「長」であるが故。

それが十和には腹立たしかったのでしょうね。

理解すらしようとしてくれなかったのだと思います。
まだまだ 子供であった十和と 子供を子供として 扱う事の出来なかった玄和。


父と子の和解はどうなるのでしょうか??
そのあたりは 私なりに考えている事もありますが、千穐楽後のスピンオフとして
書きたいと思います。



さて、話を戻しまして・・・

人間 大事な人がこの世を去る時 どの様に対峙するのがベストなのでしょうか?



何度か書いておりますが、私の父は 病に伏して10年 

病院から今が危ないと聞き ちょうど12月の歌舞伎座で 三津五郎さんの
『道成寺』に出演前でした。 

すぐに病院へ駆けつける事も出来ず、はやる気持ちを抑えて 衣裳を着て 
かつらをかぶって待機するうちに 亡くなりました。との電話を 再度頂き、
その日の『道成寺』の舞台に立ちました。


また母も一昨年、大阪在住の妹から 今朝がた急逝しました。と 連絡を貰い
悲しむ暇もなく ル・テアトル銀座の『助太刀屋助六・外伝』のお稽古場へ参り、
次の日のお休み日に 日帰りでお通夜に 駆けつけました。

お通夜でも妙に 泣けなかったのを覚えております。


突然やって来る別れ それに対峙する人々は みなどの様な気持ちを抱くのでしょうね。

これだけは人々 隔たりなく 平等の苦しみだと思います。

喜びは ひと様々なのに対して 悲しみ 苦しみは みな平等だと云う事も、
世の中の計りしれない習わしとは なにか釈然としないものを感じます。

今日の写真は 私 玄和の最愛の妻 菖蒲役の笑三郎さんです。

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死んだ後も 我が子 十和が気にかかり 呼びかける様は 
本来 母の持つ永遠の愛情かも知れません

登場する時には既に病に冒されている為に あえて唇に紅をさしておりません

これは お化粧方法で歌舞伎独自のものかも知れませんが、よくご覧になると
テレビや映画などでも 病の人は紅をささない事が通例の様です。



そして『空ヲ刻ム者』の舞台面では 夫婦でありながら 私、玄和と一緒に
登場する場面がございません

別に仮面夫婦ではないのですよ。

笑三郎さんと夫婦役と云うのも 初めてではないでしょうか?


今日は無理を御願いをして 舞台では並ばない玄和とツーショットで 
撮って頂きました。(笑)

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玄和は 台詞で「これが(仏師)大切な仕事だと云う事を 菖蒲も分かっている。」 
と 十和に申します。  


玄和も 菖蒲のよき理解者であり 愛していたのでしょうけど 

男は素直に それが云えないのですよね(笑)

愛情あふれる二人の姿は、このブログだけでの 一枚です。