『空ヲ刻ム者』で 私は玄和のお役で 仏師として登場致しますが、
子供である十和(猿之助さん)は 父の存在を否定致しております。
子供である十和(猿之助さん)は 父の存在を否定致しております。
父の仕事の腕は尊敬しながらも 父の生き方には賛同できません
その相容れないひずみは現実社会にでもよくある 父と子の永遠の課題。
悩み苦しむ青年にはありがちな十和の行動ですが、十和が父となった時には
十和の子供は どの様に思うのでしょうか?(笑)
十和の子供は どの様に思うのでしょうか?(笑)
お芝居と云いながらも ちょいと考えさせられる課題ですが、
十和も父を否定しながらも 仏師としての使命に目覚めて参ります。
この先達となるのが 私 玄和のお役と共に 仏師として登場するのが
右近さん扮する所の九龍(くろう)
本人曰く 元は僧侶であったそうですが、言葉で説くより 仏像を刻んでいる方が
心が休まる・・・と(笑)
心が休まる・・・と(笑)
十和も九龍の云う事なら 聞くようになります。
父親は立場がありませんね(笑)
父親は立場がありませんね(笑)
九龍も玄和も 言っていることの本質は 結構同じような気がしますが、
それをどうとるのかが 肉親である師匠と、他人である師匠の違いでしょうか。
それをどうとるのかが 肉親である師匠と、他人である師匠の違いでしょうか。
実際に私も 若いころは父に学び、その後猿翁旦那、紫先生をはじめとしました
多方面の多くの師に出会い、 教えを受けました。
多方面の多くの師に出会い、 教えを受けました。
父が 言っても納得できなかったことを 言葉を変えて 他の方から聞いた時
全く違った受け止め方をしたことも あるかもしれません
全く違った受け止め方をしたことも あるかもしれません
まさに、十和は 私たちすべての人が歩んできた また 歩むだろう道を
歩んでいる おそらく「普通の」青年。
歩んでいる おそらく「普通の」青年。
九龍に出会えたことは 本当に幸せだったのでしょう。
その九龍の導きのもとに 十和が 何かをつかみ掛けた時に
九龍に災いが降りかかります。
九龍に災いが降りかかります。
ここの所は お芝居の中で・・・・(笑)
そして九龍は とんでもない事になって 十和と一馬(佐々木蔵之介さん)の前に
姿を表します。 この発想!!これぞスーパー歌舞伎!!
姿を表します。 この発想!!これぞスーパー歌舞伎!!
歌舞伎ならではのこの演出は おそらく見ている人の度肝を抜いた事でしょう(笑)
公演回数もあと20回となりました。
今日の写真は その九龍(くろう)の右近さんです。
右近さんも
「このお芝居 今度いつ上演されるか わかりません 是非、今月中の御観劇を
「このお芝居 今度いつ上演されるか わかりません 是非、今月中の御観劇を
お勧めします!」と おっしゃっておられました。(笑)
この右近さんの九龍が どう云う事になるのか その目撃者は あなただけです!松竹座にて お待ち申し上げております。