『猿之助歌舞伎ナイト』の思いがけない 出来事?といいますか、
私にとりましては、本当に嬉しい一時だったことは、
壱太郎さんと 本当にゆっくりお話ができました事。


壱太郎さんと一緒に舞台を勤めさせて頂いたのは 
昨年10月の松竹座、花形歌舞伎での舞台が初めてでした。

とても気になる若手の方でしたのですが、御一緒するチャンスは
今まで、本当にございませんでした。

それがこの5ヶ月間 ほとんど、毎月のように御一緒させて頂き 
凄く親しい お付き合いをさせて頂く事になりました 嬉しい限りです。

実は私 壱太郎さんとは、個人的に色んな事をお話させて頂く機会が
いつかあったらいいなと、常々思っていたのです。



10日の『猿之助歌舞伎ナイト』の催しの折、会場となる2階 4階の
バンケット会場の近くの4階の別部屋が 楽屋として使用されておりました。

ですがもちろん 舞台上での演技のモニター画面も 音もなく  
4階の会場の時の 各自の舞台登場の時は、部屋を出れば、
音楽が聞こえて参りますし、演者が楽屋に帰ってくれば 
その時点で どこまで終わったかが 分かります。


でも猿之助BARでの会場の舞台は2階。 楽屋は4階。

まさか様々な扮装をした役者連が 一般の方々が乗り込んで来られる
エレベーターやエスカレーターにも乗れず、ホテルの方の誘導の元に 
裏動線を使って 4階楽屋から 迷路のような厨房を通り 
エレベーターに乗りまして2階に参り 舞台裏に登場まで潜んでおります。

そこで順に 踊りを踊らせて頂くのですが、10番のうち、
私と、壱太郎さんの演目が ほぼ最後。


ホテルの方が 4番づつ 終了した時点で呼びに来て下さるのですが、
4番を終わって 次の4番の人たちが 舞台裏に行った時は 
楽屋には 私と壱太郎さんの 二人だけとなり 思いがけず そこで
色んなお話をさせて頂いたのです。



私が、この歌舞伎の世界に入って はじめて付き人として 
お手伝いさせて頂いたのは、中村扇雀時代の現坂田藤十郎さんで 
私が19歳の時でした。(笑)


それから後 上方での舞台出演が続きましたので おもだかやの一門に
入った平成元年までは 私は上方籍でした。

壱太郎さんの そのおじい様の舞台の時に 毎月ではありませんが 
およそ5年ほど 色んなお手伝いをさせて頂いた事が あったのです。


その時代、父 嵐冠十郎も 東宝芸能に所属しており 随分 御一緒の舞台に
立たせて頂いていたのが、当時の梅田コマ劇場のコマ歌舞伎シリーズ。

『浪花の恋の物語』に始まり『残菊物語』『淀屋橋物語』
『藤十郎の恋』『こぼんさん』等々、
新国劇 上方喜劇 映画俳優などの方との豪華な共演。


そして後のショーは 歌舞伎とタカラヅカのスターたちとの競演『舞踊 雪月花』

この時の振り付けは 現 花柳寿輔(当時 花柳芳次郎)さんで 
和洋合奏の曲に洋舞的な和の踊り とても斬新的な振り付けでした。
 

ちょっと方向は違いますが、この時に こうしてコマの舞台に立ったり、
舞台を間近に見ておりましたことは 後年、今回のような
所謂「歌舞伎の舞台」ではない舞台に立ち、自分の持ち時間の中で
自分の振り付けやコンセプトを一から作りまして 演じることの
一つの原点になっております。


壱太郎さんのおじい様にあたる 藤十郎さんのもう一つお父様、
二代目の鴈治郎さんとも同じ舞台に 立たせて頂いたことがございます。

そのひとつが、昭和52年(1977)名古屋中日劇場1月公演『水戸黄門』
この舞台では藤間紫先生 段四郎さんもご一緒でした。 


私にとりましては、若いころの一時期、扇雀さん(現藤十郎さん)と
そば近く接することが出来、舞台をご一緒させて頂いたという経験は、
とても素晴らしく感じておりましたので 壱太郎さんにその当時の事を
色々と御話させて頂いたのです。
 

私はこの御芝居の時 コマ劇場の特殊な舞台にもかかわらず 御芝居 踊り
毎日 そでから見せて頂いておりました。

当時にデジカメ ビデオがあれば 全部 録画していたものを・・・(笑)
結構 8ミリには録画させて頂きましたが・・・。

と云う 想いを壱太郎さんに 御話ししたところ 


「え? 猿三郎さん お祖父様に付いておられた事が あるのですか?」と
興味深々に聞いて来られ 思わず語りが熱くなってしまいました。(笑)


ここ数カ月で お孫さんである壱太郎さんとは 大変親しくさせて頂いた私ですが 
若い世代にバトンタッチして行く 年代になって さびしくもあり(笑)

また次代に御話をさせて頂く事が、嬉しくもある私になり 、
今回のリッツ・カールトン大阪の『猿之助歌舞伎ナイト』は 
おもだかやだけではなく 上方に所縁の私にとっても 
本当に有意義なひと時でした。
    

また機会がありましたら、今度はひいおじい様のお話もしてみたいなと
思っております。

きっと、今おられるお弟子の皆様とは また違った形での
ひいおじい様、おじい様 を見てきた一人だと 思っております。



思い返しますと、長くこの世界におります私ですが

おもだかやは 今の猿翁旦那、段四郎旦那の世代から、
4代目猿之助さん・中車さん世代、團子ちゃんと 三世代。

同じく若いころから 関わりの深かった高麗屋さんは 白鷗さん、幸四郎さん、
染五郎さんまで。
残念ながら、四世代目の 金太郎さんとはご一緒しておりません。


関西の松嶋屋さんも、十三代目仁左衛門さん、我當さん秀太郎さん仁左衛門さん、
その後の進之介さん愛之助さん孝太郎さん世代まで。
千之助さんとは ご一緒してません。

中村屋さんとも 十七代目さん勘三郎さん、十八代目勘三郎さん、
今の勘九郎さん、七之助さんまでで、七緒八さんとはまだ。


と思いますと、関西成駒屋さんとは、ばっちり四世代。

二代目鴈治郎さん、坂田藤十郎さん、翫雀さん扇雀さん、そして壱太郎さん。


歌舞伎の世界に入って、最初にお世話になった成駒屋さん。

それから50年の時を経て 4世代の皆様と 同じ舞台に立つことが
出来ておりますこと、これもまた ご縁だなと思っております。