昨日、『義賢最期』の時代背景を 簡単に書かせて頂きました。

昨年のこんぴら歌舞伎の時に 通し狂言の難解さを分かりやすくするために 
1979年11月に 映像とドッキングした『奥州安達原』の公演が
サンシャイン劇場にて 上演されたことがあると 紹介させて頂きました。


実はこの映像と舞台をドッキングさせた試みは、この『安達原』だけにとどまらず、
『源平布引滝』の通し狂言を分かりやすくするために1980年10月に
同じように上演されました。


この時の舞台を ご覧になった方はおられますでしょうか?? 



映像とドッキングさせた第2弾として、同じくサンシャイン劇場で
上演いたしております。


この時の映像部分の監督は 誰あろう、三代目市川猿之助(猿翁)さん
前年の『奥州安達原』の時は松竹の映画監督 貞永方久さんでした。


『源平布引滝』は旦那、自らメガホンをとり琵琶湖の湖畔あたりで
ロケーションを敢行したのです(笑)



よく上演される『義賢最期』『実盛物語』の間に実は もう一場面
あまり上演されていない場面がございます。


『義賢最期』で義賢から源氏のシンボルである白旗を預かった小万が
『実盛物語』の九郎助住家の段では、戸板に乗せられて 片腕がない状態で 
死骸として漁師に運ばれて参ります。


一体 小万に何があったのか、どうして死んでしまったのか、
これではよく分かりませんよね(笑)

一応、筋書(番付)などには あらすじを書いてあることもあるのですが、
どれだけの方が この部分を 完全に把握して ご覧になられるでしょうか?


そういう思いがありましたので、この時は映像にて、この間の物語を
簡単に、視覚に訴えかけるという 目論見がありました。



実は、『義賢最期』の後には「矢走の浦の場」があり 
義賢館を白旗を預かった状態で抜け出した小万は 矢走で追手に追いつかれ 
やむなく逃げる為に琵琶湖へ飛び込み 泳いで渡ろうと致します。

しかし力尽きようとした時に 助けられたのがなんと 
敵方である平宗盛(たいらのむねもり)の御座船。


かねて源氏に思いを寄せる 斎藤実盛(さいとうさねもり)も一緒に乗っており 
助けようとした時に片手に白旗があるのを知り 
源氏の白旗をここで平氏に渡してはならないと 片腕を斬り落とした後に 
小万を助けようと致しますが 小万はここで ついに力尽き 流されてしまいます。



片腕と白旗を九郎助が浜で拾い 死骸は漁師に見つけられて 
次の『実盛物語』の場面へと続くのです。


・・・この物語・・・ご存知でしたか?

舞台は見たことはないと思うけど、聞いたことがある・・・かも?
といわれる方が 多いのではないかと思います。

いかがでしょうか?


実は、このくだり、『実盛物語』の中で実盛が語る《物語》の内容なのです。

と云う事は、『実盛物語』をご覧になられたことがある方は このいきさつを
ご存じの「はず」なのです(笑)


結局 小万の腕を斬り落とし 死に至らしめた実盛は
後年 太郎吉に 母の敵として 討たれてやります。 

太郎吉は手塚太郎(てづかのたろう)として 葵御前から生まれて来た
駒王丸(後の木曽義仲)の家来となります。

そして一緒に平氏と戦い 年取った斎藤実盛は 白髪を墨にて染めて 
分かりやすい姿で手塚太郎に討たれてやったと 云われております。 

兵庫県の布引の滝の近くには 実盛の髪の墨を洗い流した
首洗いの池と申す所があるそうです。


只、真実かどうかは知りません(笑)

でもそう信じるとロマンがありますよね。


話が 最後まで行ってしまいました。
1980年のサンシャイン劇場の話に戻ります。


この琵琶湖の御座船の場面をサンシャイン劇場の時は 
本当の琵琶湖での波の映像と スタジオでのドライアイスが漂う波の映像との
オーバーラップのコントラストで なんとも神秘的な御座船の場面を
作り上げました。

それを 間で流すのですから、きっと その後の『実盛物語』の≪物語≫も
わかりやすかったのではないでしょうか?

34年も前の話ですから もう御存知の方も 少ないでしょうね。(笑)


この千秋楽前日に勉強会があり 私は今月梅丸さんが演じておられる
『義賢最期』の待宵姫をさせて頂きました。

この時の義賢は 寿猿さん!(笑)

寿猿さんが 大立ち廻りを演じられ 私がうぶなお姫様を・・・・(爆笑)

今の年齢を想像しないでくださいね。
34年前の事です。私もまだ20代でした。

たった1日の事でしたが、大変いい思い出です。(笑)



今日の写真は 34年前に義賢を熱演された寿猿さん

扮装は『上州土産百両首』の2幕 上州館林で料亭「たつみ屋」の亭主宇兵衛です。


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こうして このブログで 古い話を掘り起こして記事にしておりますが、
その折の話をする人が めっきり少なくなりました。

今は門之助さんなどと話しておりますが・・・



今日は、この義賢&待宵姫 の思い出を寿猿さんと話しておりました。

寿猿さん、アノ折の映像が残っていないことを 大変残念がっておられました。

今のデジタルビデオは言うに及ばず・・・当時は8ミリカメラでの記録もまだ高価。
あれだけの舞台を全部撮影しようとしたら トータルで

「私の当時の給料の数倍もしたんだから!」

だそうです。


私も欲しかったですね。

ないのは残念ですが そうして昔の話を共に思い出せる方がおられるのも
また嬉しいものです。