浅草新春歌舞伎 昼の部には『義賢最期』と云う 
愛之助さん主演の演目が出ております。


これは、『源平布引滝』と云う 通し狂言の中の一場面でして、
この後に有名な『実盛物語』の場面へと続きます。


この源義賢(みなもとのよしかた)と云う 人物 
歴史的にも 皆様 あまり馴染のない名前だと 思います。


ここでちょいと解説。

お芝居をご覧になった方は、よくお分かりかと存じますが、
鎌倉幕府を開いた 源頼朝(みなもとのよりとも) 
そして歌舞伎で有名な源義経(みなもとのよしつね)の父は 
源義朝(みなもとのよしとも)です。

この義賢は 義朝の異母弟にあたります。 

ですから頼朝 義経にとっては 叔父さんなのです。


義朝 義賢の父 源為義(みなもとのためよし)のお祖父さんは
『奥州安達原』に登場する 源義家(みなもとのよしいえ)

そしてこの為義は 保元の乱の折に崇徳上皇の下で戦いますが敗北を記し
後白河法皇方に付いた 我が子 義朝に処刑されております。

この義朝(義賢の兄、頼朝義経の父)も平治の乱で敗れた後 敗走しますが 
平清盛の策略で 味方と思っていた長田忠致 景致 親子の館で 
恩賞目当てに 入浴中に惨殺されます。 
 

義賢は兄の義朝が 平清盛に討たれ 現在は、なすすべのない状態なので
病と偽り 屋敷にこもっております。



さて、こういった背景の中で『義賢最期』のお芝居は始まります。


屋敷に仮病でこもっております 義賢のもとに、平家の使者が来て 

「兄の様に謀反を起こす気がないのであれば
 義朝の首(舞台ではしゃれこうべ=あたまの骸骨)を 足蹴にしろ」

とまるで隠れキリシタンを探す 踏み絵の様な事で 本心を確かめに参ります。


さすがに兄の首(こうべ)を 足蹴に出来るはずもなく 怒った義賢は
使者を斬り倒し 討ち死になると分かっていて 平家に立ち向かう為 
屋敷で戦の準備にかかります。 


これとは別に、やはり義賢の本心を確かめようと 奴 折平になりすまして
潜入して来た源氏方の武将 多田蔵人や 先妻の娘 待宵姫が 関わって来て 
物語が進行して参ります。

待宵姫は 恋仲の多田蔵人に預け 屋敷から抜け出させます。


義賢の奥方 葵御前は、この時に懐胎しておりましたので、
義賢は地元の漁師 九郎助に頼んで 落ち延びさせます。


後段の『実盛物語』になると良く分かるのですが、この奥方 葵御前の生んだ子が
後の源(木曽)義仲となり 源氏が平家を討つために 京へ攻め上がる時の
先陣を切るのです。


かくて その事は知らずに父 義賢は 多勢に無勢 義賢館で 
壮絶な最期を迎えるのでした。


と簡単に概略を述べますと『義賢最期』は こう云ったお芝居です。



その場面だけをご覧になられましても おそらく楽しめるかと思いますが、
前後の場面の事、また、その先祖や子孫がかかわってくるお芝居をもまた
ご存じで舞台を見られましたら、きっと楽しみも 数倍かと・・・


とは申しましても 文章に読みましたら 全く頭に入りませんか?(笑)

一度 家系図を書いて、お芝居を見て下さい。


え???このブログに載せろ??(笑)


・・・もし、余裕がありましたら・・・

期待せずに、お願いします