昨日は映画の『眠狂四郎』シリーズで活躍された市川雷蔵さんの事を
振り返らせて頂きました。


この雷蔵さん 名前からもお分かりの如く歌舞伎役者であられました。

私はもちろん お会いした事はないのですが、父 嵐冠十郎とも 
私の名前 市川猿三郎とも かなりゆかりが深い方なのです。

かなり以前にブログでも この事にも触れさせて頂きましたが 
改めて今日はもう一度 ちょっとその事を書かせて頂きます。
(以前も読んで下さいました方には 重複してすみません)


雷蔵さんの出生はかなり複雑ですので、今の私にはよくわかりません。

ある時期に 上方歌舞伎の大御所、市川寿海さんのご養子となられ、
八代目 市川雷蔵の名前を襲名されました。


しかし、昔の上方歌舞伎も御多聞にもれず 若手役者は
台詞ひとつもないと云うお役が続きました。


この当時 父も在籍していた上方若手歌舞伎勉強会の『つくし会』という会に
雷蔵さんも属しておられ 父が『野崎村』の久作を演じました折に 
久松を演じておられたのが雷蔵さんでした。

つまり、父嵐冠十郎と 市川雷蔵さんは 共演した仲なのです(笑)

ちなみに お染が扇雀(現坂田藤十郎)さん お光が實川延若さん 
と云う顔ぶれでした。


その後も歌舞伎界ではあまり活躍場がなくて 見切りをつけられ
映画に行かれた後 大成功されたのは周知の如く。

ですが37歳の若さで亡くなられたのは あまりにも勿体ないですね。



で この雷蔵さんは八代目でおられますが、江戸時代 五代目雷蔵さんの
前名が 実は市川猿三郎であられる時がございました。

これは成田屋系列での猿三郎さん


その後 初代猿翁さんのお弟子さんで私の先代である 猿三郎さんが居られます。



実は後の雷蔵さんが 寿海さんのご養子になられる時に、
市川新蔵と云う名前を会社は ご用意したのだそうですが、 
当時の市川家総帥でおられた初代猿翁さんが 
そんな大事な本筋の名前を 上方の養子に与える訳には 行かないと 
雷蔵と云う名で落ち着いたのだそうです。

面白いですね。


大きな名前とは 何だろう?と 今では思わざるを得ません
役者が大きくしてしまったのですから・・・。




私が名前を継がせて頂きます時に 二代目猿翁旦那にお伺いを立てました。

「初代は成田屋で 先代はおもだか屋初代となっておりますが 私が二代目を
 名乗らせて頂いて良いのでしょうか?」と

猿翁旦那は 「おもだか屋としては二代目だから それでよい!」と 


まさか私がこの次に こんな大きくなった雷蔵と云う名前を
名乗らせて頂く事はございませんが、一時はあこがれたこの名前。 

なにか不思議なご縁を感じるのです。(笑)

 
過去に見た感動した映画から ひも解くと そこには父や 私の名前に繋がりがあり
遠い存在の名前が すぐ前にあっても手が届かない!(笑)

もどかしい様で、またどこか 身近に感じてしまう様な。

そんな思い出を 昨日のブログの臥龍廊が蘇らせてくれました。


なんとなく、昔から憧れていた雷蔵さんの年を いつの間にか越えたなあ~と
漠然と考えましたら・・・

越えるも越えて・・・ずっと 年上になっておりました。
子供の頃からの思いと云うのは 不思議なものです。