今日から師走。 12月となりました。

12月の京都 年中行事と云いますと 御承知の如く
南座の顔見世興行がございます。

現在の歌舞伎の興行形態は 松竹と云う会社が 運営を致しております。

では、この「顔見世」とはどう云う意味でしょう?

その昔江戸時代のこと 歌舞伎役者は各座と1年の出演契約を結んでおりました。

例えて云いますと プロ野球の様な契約更改の時期が11月で  
ドラフト会議の様に 座元が人気のある役者を 順番に抱えて行く訳です。

そして新たな座の組み合わせとなって 江戸 京 大坂の各座に移って行くのです。

そこで新たな座組みとなった東西の役者が 11月公演にて、
来年はこのメンバーで 1年間歌舞伎を上演して行きますと
宣言するような意味で「顔」をそろえたのが 顔見世なのです。


実はこの時期、南座の北側に北座と云う 芝居小屋が
明治の中頃まで ございました。

四条通りの道路拡張の為に 残念ながら取り壊されましたが・・・。

現在はそれを模して 北座と云うビルがございますが・・・。

おそらく違う座組みで こちらも顔見世興行を行っていたと思うのですが、
その詳しい記録は 私も良くは知りません。



その後、初春歌舞伎として 江戸 大坂で歌舞伎が上演されたのですが、
江戸末期になりますと この興行形態は崩れて参ります。


本来の意味ではございませんが、京都の南座だけは この伝統を守り
江戸上方の合同 顔見世と云う 興行形態だけを残して 
現在まで存続しているのです。

やはり 歌舞伎発祥の地の目の前に現在もございます南座ですので、
それも意味があることでしょうか。


あえて10月の名古屋御園座 11月の東京歌舞伎座はこの形態を借りて 
顔見世興行と謳っておりました。



とはいえ、何回かのリフォームはございましたが、この南座 
過去の名優たちが上がった舞台に 間違いはございません

また「まねき」も 江戸時代からの習わしに違いないのです。



絵番付は別として プログラム的番付などない時代 
このまねきに上がった役者の名前を見て 
「お 誰々が来てる!」とか「俺の贔屓だ!」とか「若手のこの人 見たかったのよ~」
などと 劇場前で話していた事でしょう。(笑)


写真のなかった時代の「まねき」に 誰の名前が書かれてあったかは
想像するしかございませんが、記録のある現在。


この今年の「まねき」なども これから以後 ず~っと語り継がれていく事でしょう。


京の風物詩でもありますこの顔見世。

若いころは 毎年の様に出させていただいておりましたので、
それ程 特別には思っておりませんでしたが、東京に行きましたら
関西出身の私には やはり特別なもの。

私は10年ぶりの出演です。