京の年中行事 當る午歳 吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎。
二代目市川猿翁 四代目市川猿之助 九代目市川中車 襲名披露。

なんとも長いタイトルですが(笑)
京都南座 本日無事に初日の幕が開きました。

今日はまだ、師走ではありませんが、12月の26日まで27日間。
皆様のお越しをお待ち致しております。


京都の四条通りには早くもクリスマスソングが流れ 年末ムード満点で
ほどよい寒さも 顔見世興行の背中を押してくれます。

劇場内部とは違い これからどんどん寒くなる事でしょう。(笑)



初日の南座はもちろん お客様 昼夜とも満席で 襲名披露公演を
盛り上げてくださっております。


私の名前もまねきに上がり 嬉しさいっぱいです。

関西に居ります時から 歌舞伎俳優となった以上 
いつかは自分の名前のまねきを掲げたい。

とは、いつも思っておりましたが この年になっても 
まだ2回しか自分の名前を見た事がございません

若くして名題になった方々は これからも何回も自分の名前が 見られるかも知れません
それは本当に うらやましい限りです。



私が名題披露をさせて頂きましたのは 平成10年7月。
その5年後 京都顔見世に初めて名題として 出演させて頂きました。

まだ前名の「市川延夫」の時。 
約15年名乗っておりましたが、この名前でまねきが上がったのはこの時1回だけです。

それも前月に猿翁旦那(当時3代目市川猿之助)が病で倒れられ 休演月となり
旦那の名前はございませんでした。


今年は2代目市川猿三郎として、はじめてまねきを上げて頂きました。

イメージ 1


そして、旦那の名前 市川猿翁の名前と一緒にです。

イメージ 2


もちろん 市川猿翁旦那の隣に 市川猿之助の名前もございます。
実に18年ぶり

そのお隣には 市川中車の名前も。
これは48年ぶり。

イメージ 3


やはり 気持ちが引き締まります。  



私の名前 市川猿三郎。 

先代猿三郎さんは、いつまで出演されておられたか調べましたところ、
最後に南座顔見世に出演されたのはなんと 1959年12月。

今から54年前です。

市川猿三郎の名前は実に、半世紀を過ぎて 上げられた事になります。


また市川猿翁の名前は まねきとしては、今年はじめて上げられました。
 

この1959年12月に、2代目猿之助(初代猿翁)として、
出しておられた演目は『黒塚』

先代猿三郎さんは先代嵐吉三郎さんの大和坊と共に 讃岐坊に出ておられました。
この時の強力が 先代中車さん 


なんとも因縁のある 今年の顔見世興行でしょ。(笑)  


南座の正面に立ち 色んな事を考え 色んな事を思い出させてくれる 
今年の顔見世の始まりです。