今日のニュースや新聞で 最近の若者の日本語の読解力と云う事で、
この意味はどちらでしょう?

みたいな言葉の語源を追及しておりました。

「気の置けない仲間」は、気の許されない友か?それとも気の許せる友か?

「伝家の宝刀」か「天下の宝刀」か正しいのは?

その他「的を射る」「的を得る」 また 「怒り心頭に達する」「怒り心頭に発する」等

今のテレビ番組のクイズの国語!! ってな感じで 掲載されておりました。


そんな中、『役不足』と云う言葉の意味は、 その人にとって その仕事は

軽すぎる?重すぎる? どっち? と云うのがございました。


私たち、役者からすれば 歌舞伎から出た言葉ですから、
その意味は充分に 理解しているつもりです。


答えはもちろん 軽すぎる!!



簡単に云えば 江戸時代、各座の狂言作者が その他大勢のようなお役を 
大看板さんに 持って行くのは、その役者さんに対して役不足(失礼)ですよ! 
と云う 言い方に用いられます。

(現在では 歌舞伎は松竹と云う会社運営ですので 狂言作者さんの
 立場も変わり 江戸時代の狂言作者さんのような仕事ではありません

 現在では これは会社の奥役さんと呼ばれる方々が 次の舞台の配役を
 企画されております。
 所謂、映画やテレビの 歌舞伎のプロデューサーの事ですね。)


ですから、江戸時代からのスタッフ会議などの時に 

「大きな役者さんは そんな小さなお役には 出てくれないよ!!」 

「それは役不足だよ!!」 

と云う事ですが、本来 この奥役さんたちの 役の振り分けに困った時に
使う言葉が 現在の国語の中に生きているのが 面白いですね(笑)


でも、ここからが今日のブログの本題でして、いわゆる 役不足で
その時に登場した、役者さんほど そのお役を大きくした人はいないのです。


一番最適な例が、江戸時代の中村仲蔵の『仮名手本忠臣蔵 五段目』の斧定九郎。


家柄のない人間が ある意味人気をつかみ 人に知れ渡った頃に 大幹部から
ひが目を負い 誰も振り返らない 所謂 めし時の五段目の定九郎を振り当てられ
失望の中 なんとか目立つ役に出来ないかと 自分なりに思案し、工夫を凝らし
現在の形になったのは 落語でも有名なお話。 

役不足なお役を 大きな役まで持って行ったのは役者の力量。


そんなお役は 逆に歌舞伎では山ほどございます。

また「役不足」。 そんな事で与えられて怒る役者は山ほどおりますが、
その役者が それに怒るだけの力があるかないかは 判断するのはお客さまです。


怒った役者の「役不足」の反対語が『力不足』では 笑い話にもなりません(笑)


私も来月『力不足』にならないように、性根を入れて頑張りたいと思います。