今日は先日 消えてしまった内容の事を 思い出しながら書かせて貰います。

スマホで書き上がり ブログアップの時に 意識しないで思わず画面に触れた指で、
違う画面に!(笑) 慌てないで ゆっくり元に戻そうとしましたが、
元の画面は、すでにさらの状態!  ため息が出ました。


で その内容は、8日の朝 伊豆への出発の為に起床して テレビをつけましたら
ちょうど朝のニュースで 2020年・東京オリンピックの招致決定 と 
放送されました。

私はすっかり、おそらくマドリードだろうと勝手に思っていたので、
東京と聞いて びっくりしました。 

気合い入れておりましたら おそらく 起きて見ていたと思いますが、
今回は なぜかそれをしておりませんでした。

とりあえず 起きて びっくり!


それから、出発の支度をしながら 高円宮妃久子様 以下
最終プレゼンテーションに立った人たちの、素晴らしいお話をダイジェストで見て 
慌ただしく 出発してしまいました。
 

思えば1964年の第18回東京オリンピックを 見ている人は 
もう少ないのかなあ~。

49年前 私は小学5年生。
記憶としてしっかり残っているのは 私たちくらいの年齢からでしょうか? 


私は当時、大阪在住でしたから 初めは何を見学に来ているのか分からなかった 
沿道の聖火リレー。 

学校からの行事で、貸し切りバスで行った記憶はあるのですが、
どこに行ったのかは、全く覚えておりません

大阪ではどこあたりを通っていたのでしょうか。

よくわからないままに、見ておりましたが、後から思いますと、
貴重な東京オリンピックの 聖火を目の前で見たことになるのですね。


そして東洋の魔女の女子バレー 重量挙げの三宅選手。 

マラソンの円谷選手。(アベベ選手のマラソンには圧倒されました。)

女子80mハードルの依田選手。 ヘーシンクに敗れた日本柔道。

数え上げたらキリがありませんが、どれも鮮明に覚えております。


この東京大会が始まる前に、学校の担任の先生から、

「この東京オリンピック しっかり目に焼き付けておきなさい。

 もう一度、東京大会があったとしても 私はもう見られないでしょう。
 もし見られるなら あなたたちの年代が一番 可能性があります。

 世界のオリンピック 二度の東京大会をナマの目で見られるとしたら、
 君たちは なんと幸せ者だろうか?」

と おっしゃっておられました。


その時には また、見られるよ!と 子供ながら簡単に思っていたのですが、

まさか、こんなに大変な事だとは夢にも思わず、今回のオリンピックの
東京招致が 決定した時に、その先生の言葉が 頭を駆け巡りました。


2020年。

それまでに、私もどんな事があるか分かりませんが 2度目の東京オリンピック。
何が何でも現役の歌舞伎役者として この目で見たいものです。


・・・と云う様な 内容だったと思います。(笑)


パソコンで書いてみると なんか短い感じが致しますが、スマホのタッチパネルで
書くには 相当時間がかかりました。

それが一瞬にして アップ寸前に 消えたのです。


お察し下さい(笑) 


私にとって、初めて住んでいる地で行われるオリンピック。

小学生の時は、遠き地の東京でした。
長野の時も 冬期オリンピック、雪のあるところ ということもあり、
どこか実感はありません。


今度は近くにスタジアムがあります。

実際の五輪ではどのような形で 使われるかわかりませんが、
テレビで度々登場している 北区のトレーニングセンター(トレセン)は
自宅から目と鼻の先。

時々登場する 某商店街も引っ越し前は 良く行っていたところです。
今もすぐ近くなのですが 微妙に生活圏ではありません。


ぐっと身近に感じた 東京オリンピック。
元気でその日を迎えなければ!!