本日は熊谷の公演。

今 自宅へ帰るへ列車の中で このブログを書いております。
ホテル滞在がなくなり 巡業もやっと終盤になって参りました。

今日は朝に、高崎より移動して参りましたが、熊谷は土砂降りでした。

駅前のタクシーも数台しか停まって居ず 会館からの往復ピストン運転の様な
感じでした。


タクシー待ちのそのおかげで 駅前にある熊谷次郎直実の銅像をゆっくり
見る事が出来ました(笑)

(正面までいけませんでしたのは、写り込んでいる雨でわかって頂けるかと)

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そう、ここは歌舞伎で有名な『一谷嫩軍記(いちのたに ふたばぐんき)』の
熊谷次郎直実の領地であった所。


会館の緞帳も 歌舞伎の『組討』の場面が描かれてございました。

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公演場所は熊谷会館。

先日 伺いました多治見と並んで 日本一の暑さを競う所ですが、
なんと今日は、今回の公演で 汗もかかない 一番涼しい公演場所となりました。(笑)


ですが、残念ながら雨の為に 恒例?の会館正面の写真が撮れませんでした。

この二つの写真でお許しください(笑)





さて 昨日の続きの黒御簾音楽の事ですが、ここで問題です。


『毛抜』の中で 三つ目の曲 唄入りの合方はどこの場面で 
弾かれているでしょうか?


お分かりになった方は かなり通なお方。(笑)





答えは 幕外です。


『毛抜』のお芝居が終わり、幕となり 右近さん扮する粂寺弾正が 
お客様に、お役を勤められたお礼を述べられ 居住まいを正し 
花道を悠々と引っ込んで 行く時に掛かる合方。


これは「天の岩戸」と云われる合方で、本来は長唄『土蜘蛛』の中の(切り禿)の
一部でして その部分を引用しております。


歌舞伎ではよくある事でして、曲のあそこのいいところ こっちの曲のこの部分、
これをつなぎ合わせて 合方にしてしまうのです。



例えば私たちで 云っている『おもだか音頭』と呼ばれている曲がございます。

『伊達の十役』の時の幕開きや 『口上』などで 猿翁旦那が
よく使われておりました。

これなども そうですね(笑) このエピソードはまた 近日中にでも。


ついつい お話が横にそれてしまいます。(笑)



この「天の岩戸」と云われる唄が なぜ『毛抜』の幕切れに 
使われるようになったのか?

これは明治42年9月に、二代目市川左團次さんが
江戸時代から久しく絶えていた『雷神不動北山桜』を復活狂言で再発掘した所、
この幕外の場面の唄を 岡鬼太郎さんに「何か替え唄として書いて下さい」 
と お願いされたとか。

その時に、この『土蜘蛛』の(切り禿)の曲が使われ、
替え歌が作られたのだそうです。 


替え唄の文句は

「天の岩戸の 明けの春 松と竹との いく千代を 〆て変わらぬ 約束に

 ぬり盃の 初日の出」

おめでたい時の様子が 伺えます。


二代目左團次さんと 岡先生の友情的なものがあったのでしょうね。


猿翁旦那も歌舞伎座で『毛抜』を上演された時 お正月公演と云う事で、
このおめでたい方の歌詞の唄を 使われた事がございます。


また、二代目尾上松緑さんが 国立劇場で再度 復活された時には、
ある理由で、別に長唄『舌出し三番叟』の一部を使われた事がございますが
これはあくまでも 特殊な例ですね。


現在の巡業公演では この「天の岩戸」の替え歌ではなく
元唄の方が使われております。

今回の巡業だけではなく、『毛抜』におきましては この元唄が使われるのが
主流となっております。


その歌詞も ここで掲載させて頂きましょう。

「天の岩戸に かくれんぼ 今に伝えて 神国の 子供遊びと なりにけり

 雛の祭りは 嫁入り(よめり)の手習 幟(のぼり)かぶとや 

 菖蒲(しょうぶ=勝負)うち」


と なります。


これは全部 長唄三味線の杵屋栄七郎さんに 教えて頂きました。

まだまだ 私も知らない事が いっぱいあり 大変勉強になりました。

栄七郎さん ありがとうございました。



実は昨日の高崎の会館の横 高崎城跡の碑に こんな歌が書かれてありました。

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今日のブログを書かせて貰おうと思った時に なにか因縁を感じて
掲載させて頂きました。

 
この「万女」さんという方は、「宮部万女」さん。
江戸時代の高崎藩に縁のあった歌人だそうです。