昨日 新千歳空港より飛行機で 青森空港へと参り そのままバス移動で
ホテルに入りました。


地図的には隣の県なのですが、そこは北海道、海を越えての移動です。
距離的には遠いのですが、札幌を午後からの出発で 夕方には青森に入れました。
列車だと札幌から 函館まででも4時間以上は、かかるそうです。

  
一昨日 札幌公演終演後は、海鮮専門のお店で「なまら丼」と云うのを 食べました。

ウニ いくら 海老 ホタテ あわびなどの九種類の海鮮丼で 
別に注文いたしました 焼きタラバの太い足と一緒に 日本酒 北海鬼ころしで頂き 
北海道の地を 駆け足ながらも 満喫致しました(笑)



そして本日の青森市文化会館

こちらの劇場へは 私 昭和57年(1982年)11月2日 
文化庁移動芸術祭の折に訪れております。

この時の演目は中村富十郎さんの「俊寛」幹部連の「口上」
中村雀右衛門さんの「京鹿子娘道成寺」でした。

このお二人の他には 市川左団次さん 片岡我當さん 等々。 


そしてこの巡業公演の演目の前に 特別な催しとして 
祈念式典が催され富十郎さんの「寿式三番叟」が 御披露されました。


この日が実は 青森市文化会館のこけら落としだったのです。
 
巡業公演のこの日に合わせて こけら落しの式典が行われました。
今から、31年前! 私 まだ30歳の頃です(笑)



それから、何度か訪れた青森ですが、こんなに暑い経験はありませんでした(笑)
いつも雪の中の青森でしたから。



今日の写真はその青森市文化会館です。(リンクステーションホール青森)

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そしてこの会館から10分くらいの近くに 善知鳥神社という神社がございます。



覚えていらっしゃいますか? 

4月にこんぴら歌舞伎の折に 「奥州安達原」の演目のお話を書かせて頂いた事を・・。

このお話の二段目が 善知鳥文治住処の段と云う場面でした。


主人公はもちろん善知鳥文治(うとう ぶんじ) 
*詳しくは 4月のブログをご参照ください。


この伝説にまつわるお話が本州の北の果て 青森にございました。

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神社の言い伝えに

【善】徳の究極、すなわち神の意志に叶うこと
【知】神を祀ることによって、神より与えられるもの
【鳥】予知能力をもち、天空の神々と地上の世界を結ぶ神の使わしめ

古代人は、ウトウ鳥が天空の神々より与えられた神意を地上の世界に使わし、
人々を善へ導く聖なるものと考え神使の象徴として「善知鳥」の字を充てた。

と ございます。


そしてこの北の果てに もうひとつ歌舞伎によく登場する地名がございます。

外が浜! 
善知鳥文治が鶴を殺した所。これも 詳しくは先日のブログをご参照ください。


また 現在上演中の『毛抜』実はこれ『雷神不動北山桜』と云う 
通し演目の1場面ですが、

この『毛抜』の後に私 民部が唱えている呪文を教えてくれた 
鳴神上人のお話『鳴神』の場面がございます。


この鳴神上人 早雲の王子にそそのかされ 龍神を瀧に封じ込めて 
世間に雨を降らさない術を かけております。


しかし、その封印を解くために 上人を堕落させようと 朝廷から送られて来た 
雲の絶間姫にたぶらかされて 道を誤ってしまいます。 

ついに術が破れてしまい 鬼の形相となって その姫の後を追って行くときに 

「何処まででも追いかけるぞ」 と云う意味の台詞。

「東は奥州外ヶ浜,西は鎮西・鬼界島,南は熊野 那智の滝,北は越後の荒海までも」

と、申します。 
当時 これが日本の四方の端だったのです。

(現在ですと 北が奥州 外ヶ浜の位置ですが 江戸時代は 
 江戸から東に行けば 奥州と考えられていたので、北が越後になってしまいます。
 ま 日本列島の東西南北の計り方が まだ大まかだったせいでしょうね。)

この外が浜が青森市の北 陸奥湾の津軽半島の東側にございます。


一見、江戸からは遠く離れた土地でも 歌舞伎に由縁がある地名や場所が多い事に
驚きです。


ちなみに「東は奥州外の浜,西は鎮西・鬼界島,南は紀伊路熊野山,
北は越後の荒海までも」

これは中世文学『曽我物語』にある 言葉の引用の様です。


今月やっております、『毛抜』の演目には 直接は関係ありませんが、
やはり 縁の言葉が出て参りますと ぐっと この地も身近に感じてしまいます。


明日は八戸 ここは笑也さんの故郷 ここでもまた縁の何かがあるかも知れません