今日の物語。

『小栗栖長兵衛』の寿猿さん扮する長兵衛の父 長九郎さんが登場した折に云う台詞。

「昨日は六月の十三日 死んだ女房の三回忌ですが・・・山崎であの通りの大戦...」(略)


明智光秀が本能寺に於いて謀反を起こし 主君織田信長を討ったのが天正十年六月二日。
西暦で云いますと1582年6月2日。

その知らせを聞いて羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が中国攻めから引っ返して来て
(所謂 大返し)弔い合戦として山崎での合戦が六月十三日。 


茶屋の亭主重助(私)が 彦松 丑五郎の二人に 
「これが世にいう三日天下」と 申しますが、
実際は歴史的には 明智光秀の天下は十一日間 あった事になります。

これが長いか短いかは 皆様の判断にお任せ致します。



従いましてこの日の夜に 明智光秀は小栗栖で長兵衛
(史実では中村長兵衛となっておりますが・・?)
に竹槍で刺され 後に自刃した事になります。



ですから、本日の『小栗栖長兵衛』のお芝居は 431年前の今日が 
舞台となる訳です。(笑)

そう考えると、フィクションであるお芝居が 俄然 現実味を帯びて来て 
面白いですね。


明智光秀も主君を殺したとしても もし、たった11日後に
自分も死ぬ運命であった事が分かっていたら、
本能寺で信長を討たなかったかも? 知れないですね。


そうすると歴史は、どの様に変わるのかも? その辺も知りたいのですが、
確実に云える事は431年後に博多座で『小栗栖長兵衛』のお芝居は 
実現できなかった訳です。(笑) 

そして、皆様の拍手の元、こう云ったお芝居が存在する事すら
なかったわけですね。




岡目八目。


外から見ていると なぜ後にこうなるのか その事が分かり切っている事に
その時点では 当の本人は分からないと云う 人間のさがですね。


いま、こうして 私たちが行っている事一つ一つが
また いつかどこかで 意味をなす事かも知れません。
 

イメージ 1


てな訳で このふたりは 431年前に ここにいた二人の人物です?かな(笑)

右が丑五郎役の喜猿さん 左が彦松役の喜之助さん

毎日毎日  騒動に巻き込まれている二人ですが 実際に起こったのは、たった一日。

毎日演じておりますと、ややもすれば 忘れてしまいそうな事ですが
一番大事な事だと思っております。


私たちは 25日毎日演じておりますが それが起こったのはそのただ一日。
その気持ちを 大切に演じております。


今日の舞台は 今日ご覧になった方だけのものです。
明日の舞台も 明日ご覧になる方だけのものです。


一期一会の でも、後に残るかもしれない 舞台。


博多座にて お待ちしております。


毎日が 皆様の記憶に残る舞台でございますように 我々もその日その日を
勤めております。

是非、劇場までお越しくださいませ。