御園座公演、明日が千秋楽。

以前にも書かせて頂きましたが、御園座は 私が13歳の時に
初めて出させて頂いた時から 劇場の造りが なんら変わっておりません

楽屋や客席の改装はありましたが、ほぼ 同じ造りです。 


(以下敬称略で失礼致します。)

1965年(昭和40年)5月 松本白鸚、山本富士子 中村又五郎 
そして、先代中車。の東宝劇団の公演

1971年(昭和46年)12月 藤田まこと 芦屋雁之助 曽我廼家明蝶の
喜劇公演。

1976年(昭和51年)10月 顔見世歌舞伎の中 
鴈治郎さんの曽根座心中600回記念の時の公演での私の丁稚!!

1977年(昭和52年)9月 山本富士子公演。
市村羽左衛門 中村富十郎の『浪花かんざし』

1979年(昭和54年)10月 顔見世歌舞伎 猿翁旦那の四の切、
(この時に深夜連日の京都での安達原の映画撮影)

1981年(昭和56年)10月 顔見世歌舞伎 
17代目勘三郎さんの『松浦の太鼓』での幕切の私 足軽。

1983年(昭和58年)5月 3代目猿之助公演、
宗十郎さんとの『奥州安達原』他。

2002年(平成14年)10月 顔見世歌舞伎 松緑襲名での
猿翁旦那の工藤。(やっとかめ!、の掛け声も)



その後『雷神不動北山桜』や、等々で、
その後も 御園座には出演させて頂きましたが、

初期の頃の面影 楽屋の様相が、そのままですので、私にとっては、

松本白鸚、山本富士子、中村又五郎、先代市川中車、
藤田まこと 芦屋雁之助 曽我廼家明蝶
先代中村勘三郎 中村鴈治郎、市村羽左衛門、中村富十郎、沢村宗十郎、
18代目中村勘三郎。


もちろん 猿翁旦那 坂田藤十郎 尾上菊五郎 片岡仁左衛門 等々、

この御園座に於いて 同じ舞台に立たせて頂いた方々には 枚挙に暇がござません


それが今の この御園座なのです!! 

この楽屋に居た方々 この廊下、ここですれ違った方々! 

その思い出がすべて 今の私が立っている この御園座でありました。 

明日、その御園座の公演で終わってしまいます。

寂しいですが、この記憶は 私の未来に繋がるもの!!



そして、帰京しましてからの 新しい歌舞伎座はこの中の方々が 
誰も立った事のない舞台。


その舞台に、現在の芸術院会員 人間国宝の方々と、同時に立たせて頂く喜び。


その事を踏まえながら 明日の御園座の最後の千穐楽の舞台に立たせて頂きます。