名古屋に来てから早2週間、公演の中日は明後日ですが、
名古屋へ来てからの滞在は、今日で半分くらいでしょうか?

今まで何度も名古屋には訪れておりますが その度に定宿と云っていいほど
決まったホテルに滞在しておりました。


実は今回は名古屋でも初めてのホテルに、滞在しております。

(劇場によって何種類かホテルは選べるのですが、今までは同じホテルに
滞在しておりました。)

今回は気分を変え それも功を奏し お芝居も落ち着きましたので 通勤も含め
名古屋での生活を楽しんでおります。(笑)


昨年は、おもだかや襲名公演が6・7月にございましたので、今回は
2年ぶりの名古屋公演です。

ですが、御園座はこのおもだかや襲名公演の3月で閉館。


実は毎年6月に公演で訪れておりました中日劇場も、建て替えの「噂」が
出ております。


ですから、次回の名古屋の公演、滞在は現在のところ未定なのです。





私が、初めて名古屋御園座の劇場に出して頂いたのが 13歳の頃。

以前のブログでも書きましたが、松本白鸚さんと山本富士子さんの公演。


そして中日劇場に出して頂いたのは、20歳くらいの頃 
東映の東千代ノ介さん他 宝塚新芸座の縁の方たちと 出して頂いた、
『笑殺仕掛人』と云う喜劇と『畠山みどりショー』の公演。


駅前の名鉄ホールには クレージーキャッツの植木等さん谷啓さんの
『大利根月夜』や その後 右近さん主演の『森の石松』などで出演させて頂きました。


若い頃の私、当時はまだまだ 歌舞伎だけの一辺倒ではございませんでした(笑)


愛知芸術劇場の杮落しに至っては 猿翁旦那演出のオペラ『影の無い女』に
笑三郎さんと共に ドイツの方の主役二人の吹替えをさせて頂きました。


この劇場での こけら落し出演と云うのは 大変珍しい事かと思います。

私の出演の記録はなくとも 出演した事には変わりはございません(笑)

この時の、マエストロは先日ご逝去された サバリッシュさん 


名古屋は本当に縁の深い場所なのです。


滞在の思い出もたくさんございます。 





昔は 私たち三階、大部屋の役者は宿泊場所を選ぶ事は出来ませんでした。


名鉄ホールや中日劇場では 昔は決められた旅館がございまして、有無を言わさず
そこに宿泊させられました。中村の方の東銀旅館、柳橋での中藤旅館、等々。

でも朝夕の食事がついていたのは 今から考えると 却って良かったのかも知れません

ひとりでホテルのシングルに泊れるなどは 今からでは考えられない事です。


また昔の御園座では 楽屋の上の5階が楽屋食堂で 舞台稽古時に
配給の日付の入った 食事券が配られておりました。

「あぁこの券が なくならないと 自宅には帰られないのだ・・・」

と 変な絶望感も!!(笑)



その上の 6階が宿泊場所となっており 私たち名題下は
楽屋の様なスペースの広さ(およそ6畳くらい)に 3人から4人が 
布団はありましたが 敷っぱで、雑魚寝で 寝泊りをしておりました。


今と違って終演が早くて9時から9時半頃 

一日の出番が終わって上の宿泊所に移るのが 10時頃、
開演が朝11時ですから、10時に楽屋に入るとして 9時半頃に6階を出て
楽屋へ移ります。


まあ、正直に言いまして 雨が降ろうが台風であろうが 暑いときも寒いときも
楽屋着のまま その気になればひと月 外出もしないで 
劇場の上下を行ったり来たりしておりました。
(気分の変わらないのには 嫌になりましたが・・・笑)


時にはそのまま 上から楽屋に入り 楽屋口の着到板への出欠を
忘れる事もたびたび!!

よく 頭取さんから怒られた事も、今ではいい思い出です。(笑)


私たちの若い頃は、お金の無い時代でしたので、それはそれでよかったのですが、
今の若い人たちにとっては 逆に耐えられないでしょうね。


苦しくも楽しくも あと半月で この御園座の生活も終わってしまいます。


でも、あらたな御園座にも、また出演させて頂きたいですし、歌舞伎座同様 
新しい御園座も見てみたいものです。

そのお芝居の上演されない間 名古屋のお客様は どうされるのかなあ?


そんなことも感じる 今月の名古屋滞在です。
(もちろん お芝居がないときには 東京や大阪へ遠征お待ちしております!)