『黒塚』の主人公の老女の名前が『岩手』

この物語が、県の名前になったか?どうかは知りませんが、
岩手県奥州市に 胆沢城と云う 城跡がございます。


以前はここは、水沢市でしたが、合併になり 奥州市水沢区となり
その他 胆沢○○区という名称の区も出来ました。


802年に坂上田村麻呂が朝廷軍として この胆沢城を築いた時、
このあたりは豪族 安倍一族の勢力が強く それが朝廷軍と 最大の争いとなったのが
1052年~1063年にわたる 前九年の役。 

(これは足掛け 九年にわたる戦いと云う意味です。)



この時、胆沢城を拠点として居たのが、源頼義 義家の親子。 

対する安倍の一族は 安倍頼時(あべのよりとき)(=父)と、
貞任(さだとう)宗任(むねとう)の兄弟。


歌舞伎の『奥州安達原』は、この時代を背景にしておりまして、
安倍頼時が前九年の役で 源頼義、義家に 戦に負けた時から、物語が始まります。


この物語 かなり難解でして、序段 二段目 三段目 四段目  五段目と続きますが、
その事はまた、回を追って申し上げる事にします。



戦に負けた安倍頼時の敵を討つため また奥州を独立させるために、
貞任と宗任は 源義家に戦いを挑む所から このお話は始まるのですが、
時代考証と歌舞伎のお話は 微妙に違いますので、そこの所をご考慮ください。



前九年の役の後 源義家は源氏の威光と武運長久を祈願して 
1000羽の鶴に黄金の札をつけて 放生会として 
鎌倉 鶴ヶ岡八幡宮より放ちます。


一方 義家に復讐を誓う貞任、宗任兄弟は策をめぐらし 
後朱雀院の幼き弟君 環の宮を 誘拐して
奥州に新しい朝廷を立てようと企んでおります。


この環の宮をお守りしていたのが、平傔仗直方(たいらのけんじょうなおかた)で
現在で云う侍従長のような方です。 妻は浜夕(はまゆう)。 


そしてこの二人の娘が、袖萩(そではぎ)と敷妙(しきたえ)と云う姉妹です。


姉の袖萩は、安倍貞任と道ならぬ不義の恋に走り お君と千代童と云う 
二人の子がおります。


妹の敷妙は なんとその安倍貞任の父 頼時の敵 源八幡太郎義家の妻なのです。


環の宮が誘拐され、平傔仗直方はその責めを負い 切腹の刻限が迫っております。


この背景から この『奥州安達原』は始まるのですが・・・。


『黒塚』に至るまでは まだ少々 お時間がいります。 
この続きは また明日に(笑)



ちなみに、安倍宗任の末裔が 現、総理大臣 安倍晋三さんだそうです。