昨日の夜 NHK10時からの『ファミリーヒストリー 市川猿之助』

先日、このブログでも 紹介させて頂きましたが、
ご覧になられましたでしょうか??

今日の明治座の楽屋でも この話で大変盛り上がりました。

なんとも この番組には 引き込まれました。 



四代目の現在から ルーツを振り返って行く描き方でした。

初代猿之助の妻となられた 古登さん お名前はよく存じ上げております。

現在、「赤坂うまや」のある場所は 以前は初代猿翁旦那(二代目猿之助)
の地主家で 住んでおられた時もありました。 

その後は アパートとして 経営しておりました。 


その名前が コト荘。


この方の縁の名前だとは 聞いておりましたが 
昨日の放送で目から鱗!!(笑) 



私たちが知っている頃のコト荘は 築年数もかなりたっておりました。

そこで、アパートを出て行かれる方の後 新しくは入居者を募集せずに 

空いている部屋に 猿翁旦那のお芝居や楽屋で使う 

化粧道具 小道具 着物の着替え類 浴衣 衣裳などなどの

いわば 倉庫代わりに使っておりました。



その為に 歌舞伎座や 新橋演舞場等 初日の前には 
ここから必要な荷物を 運び出し、

また千穐楽の日は 終演後 楽屋からここまで 荷物を運びいれ 
片づけるのが 深夜になった事も 毎回でした。



そして昨日の放送で 語っておられた方が 当時は管理の為に 
そこに住んでおられました。

やがて 取り壊しとなり 新しく『赤坂うまや』として 
生まれ変わり その階上は 私たちのお稽古場となりました。


取り壊される事になってからは その方とはお会いする機会が 
なかなかありませんでしたが、
昨日 拝見する限りでは ご健在の様で 安心いたしました。



ひとつの縁が 色んな輪となって さらにそこに新しい縁が生まれ 
さらに輪になって行くのですね。




その 古登さんが 吉原の中の妓楼の娘さんで 
初代猿之助さんと夫婦になり その夫を芝居で支えるために 
さらに妓楼を増やし そのひとつが 「澤潟楼」。


しかし 有名な明治の吉原炎上で 吉原すべてが灰となり、 
妓楼自体を辞めざるを 得なかったこと。
(恐らくこれは 時代的には 合致していた決断だったのでしょう) 


古登さんの繋がりの「十全堂」という医院。

これがあった場所が、今では旅館。

猿之助さんも 放送の中で「浅草の時に楽屋から見ていたところ」
と驚いて おっしゃっておりましたが、
私は昔、大阪在住の頃の 新春浅草公演の折には 
よくこの旅館に泊まっておりました。

それだけに 恐らく 猿之助さんよりも ビックリ(笑)


さらに時代の変転 
猿翁旦那 段四郎旦那 等の時代 さらに現代

お芝居より奇なり と云う 見ているだけで壮大な物語でした。


特に歌舞伎の世界では 普段は なかなかスポットの当たらない女性。

すごいなあ~としか言いようがございませんでした。
 


御一族 縁者の方々も 多数登場されて 
私も知らない事ばかりのヒストリーに
おもだかやのバイタリティー 溢れる姿に感動!! 



猿之助さんも 放送中で
「ここまでは 知らなかったよ!! よく調べてくれたね!!」と 
興奮しておられました。(笑)


さらりと 放送されておりましたが この放送の裏には
本当に大変な 調査と 取材と 裏付けと・・・が存在していると
思います。

何とも見ごたえのある番組でございました。



お見逃しになった方々も おそらく近いうちに再放送も 
あると思いますので、どうぞ ご覧頂きたいと 思います。
   

 
私事ですが・・・

私は 父方母方共に 育ててくれた祖母以外は、
祖父祖母の名前くらいしか知りません。

どう云う事をしていたのか、全くわかりません


面々と続く 澤瀉屋、喜熨斗家の歴史。
少し羨ましくも 思いました。