コメント欄に ある方から 『吉野山』の忠信の衣裳に関しまして 
ご質問を頂きました。

「昔のブロマイドで吉野山道行の写真がありました。
 忠信が源氏車の柄の衣装なんですが、
オモダカヤさんしか着ないのですか?
 
 だとしたら…初代猿翁さん!?
 他の役者さんが着ることもありますか?
 誰なのかわかりません?

 昭和15年頃だと思います。教えて下さい♪」 と



まず、基本的な事なのですが『吉野山』の忠信の衣裳は 
どなたが演じられましても 「源氏車」の柄です。

これは佐藤忠信の紋どころですが、それが柄になっております。


『四の切』の初めに登場する本物の佐藤忠信の 裃の柄も
源氏車があしらわれております。

(訂正、ただ近年には佐藤忠信の織裃には 源氏車があしらわれず、
 紋のみが源氏車と云うのが、主流のようです。

 過去の猿翁旦那の佐藤忠信には、あしられている柄の写真が
 残っております。)


また、狐忠信が三段から登場する際の衣裳も 紋以外に源氏車が
あしらわれております。


このように源氏車の柄は 佐藤忠信と切っても切れない柄です。


では、ご質問の源氏車を着た忠信。

昭和15年頃のブロマイドは誰か?と云われますと、
それは写真を見てみないと 正直 わかりません(笑)

どなたも『吉野山』の忠信の衣裳の柄は、源氏車だからです。



ですが、源氏車と申しましても すべて同じ衣裳ではございません。
色々と その時その時で 違った衣裳を着ております。



本来 『義経千本桜』は人形浄瑠璃として書かれ 
「文楽」が語っておりました。


その時の『吉野山』の忠信の衣裳は 黒の着付けです。

その黒に小さい源氏車がちらしてある場合は 
肌を脱いだ時は 赤の襦袢に肩から半円に描かれた
大きな源氏車をあしらってございます。
(「首抜き」と云われ、あちらこちらで 使われる衣裳です)


また、黒の着付けの裾に大きな源氏車の半円が描かれている場合は、
肌を脱いだ時には 赤の襦袢に小さな源氏車が散らしてございます。



これを歌舞伎に持って参りまして 役者が用いまして、
人形と同様に文楽、義太夫で物語を演じる場合は、
肌を脱ぎました時に 赤の襦袢を着ている事になります。




そして人形浄瑠璃より脱皮致しまして、人が演じる場合 
別の『吉野山(いわゆる舞踊として)』があってもいいのではないか?と
「清元」の演奏 語りで『吉野山』が 後に登場いたしました。


これは肌を脱いだ時に 浅葱色の襦袢を着ております。

また、小道具の部分でも 軍扇ではなく、白木の扇を持って
物語を語り、振り事も多少違います。


清元におけます『吉野山』の時は、最初の衣裳が「黒」には
限られません。

人によっては、小豆色のような事もございます。


また、襦袢の源氏車に関しましても お家によって少し違います。



おもだかやでの 猿翁旦那が過去に演じられた時、

浅葱色の襦袢で 小さい源氏車を散らした時もございますし、
また小さいこの源氏車の 上半分だけを半円にして 
散らした時もございました。
(この写真は 6月の筋書きの写真にも載っておりますので
 お持ちの方は ぜひご覧くださいませ。



ですから、同じ源氏車でも最初の着付けの色、源氏車の配置、
その後の襦袢の色、また、源氏車の配置などなど。。。


アレンジの仕方で 全く違う柄に見える事もございます。



お手持ちの番付けやブロマイド 何冊 何枚も見比べて頂ければ、
その変化にも お気づき頂けると思います。(笑)


これに 静御前の着付けも入れますと、更にバリエーションは
増えて参ります。


文章だけでは おわかりにくいかと思いますし、
本来は舞台面の写真を掲載して ご覧頂けると一目瞭然なのですが、
例によって著作権の関係で 自分以外の写真を掲載する事ができません

ご了承くださいませ。


衣裳一つ取りましても 突き詰めますと 面白いものですね。



ご質問の答えとは 少し違ったかもしれませんが、いつか
書かせて頂こうと 思っていた内容でしたので、
この機会に 書かせて頂きました。