今日の読売新聞、日曜版の1面は「十六年は 一昔、夢だ、夢だ、」の
見出しが大きく掲載されておりました。


そうです、先月 ひと月巡業公演で 地方を廻りました 熊谷直実の台詞。

そして2面にまで 歌舞伎の『熊谷陣屋』の
話題が詳しく書かれてありました。
(3面は偶然中村時蔵さんのインタビューでした。)

私のブログでもご紹介いたしました芝翫型 団十郎型の『熊谷陣屋』の違い、
また 敦盛と小次郎の心情 また須磨の浦の歴史 等 


すごく興味深く書かれてあり 読売をご愛読の方は お目にとまった方も
多かったのではないでしょうか?


紙面に載っておりました橋之助さんが演じられた芝翫型の『熊谷陣屋』
大阪城西の丸での平成中村座公演、この舞台にも 私 
巡業の時と同じく義経の四天王のひとりとして 
舞台に 出させて頂いておりました。

またその前には、こんぴら歌舞伎での染五郎さんの『熊谷陣屋』にも
幕開き花褒め(若木の桜のいきさつ)の百姓として出ておりました。


それらの事も詳しく書かれており、また、須磨の史跡の場所も
載っておりまして、これは ある意味保存版の日曜版新聞では
ないでしょうか?


そのなかに 二代目尾上松緑さんが1969年 サンフランシスコで
この『熊谷陣屋』を演じられた折のエピソードが 載っておりました。


「楽屋に18、9の可愛い女の子が 二人やって来まして 
 よくこんな 反戦の芝居をやってくれました。」と 

バッジを下さったそうです。


折しもこの年はベトナム戦争 まっただ中!! 

私も、このあたりの年は 反戦のフォークソングを歌い
学生時代の反戦運動に 参加した事もございます。


この二人の少女と 私は同年代の人たちと思われます。

今はどうしておられるのでしょうね?(笑)


なんかこの『熊谷陣屋』というお芝居が 今まで何年にも渡って
色んな役者によって 演じられてきた理由が分かるような気が致します。


できれば歴史を振り返るだけの『熊谷陣屋』であり 
重たく感じられずに みられるお芝居で 
あり続けてほしいのですが・・・(笑)


おもわず見た 今朝の朝刊日曜版で 巡業の演目『熊谷陣屋』を 
思い出してしまいました。