昨日のブログにも 書かせて頂きましたが、今日の公演場所 
神戸文化ホールの近辺には 須磨の浦 一の谷。鵯越え。

などなどの激戦地で 平家と源氏の戦いの舞台となった神戸です。

(当時はまだ 神戸と云う 名称はなかったでしょうか?)

 

それこそ、平清盛が都を移した 福原もこの近くでした。

(もちろん 楠木正成にも縁が深く 会館の真ん前は 湊川神社です。)


実は源平の合戦だけではなく ここの会館は 私にとっては 
いつも とても思い出深いのです。

何回 訪れているか数えきれないほど・・・(笑)



その都度 大変大きなお役をさせて頂いております。

初めてここの会館を訪れましたのは 私がまだ20代。(笑)



関西の高校生の為の歌舞伎教室でして、歌舞伎の解説は片岡我當さん


そして 公演は『鳴神』でした。 雲の絶間姫は 嵐徳三郎さん、

もちろん鳴神上人は 我當さん。


私は 鳴神上人のお弟子・・・と云っても お芝居の後半から

「おっしょうさまいの~」 と云って 出てくる その他大勢の
立ち回りの所化。(笑)


でも その後はここで『すし屋』のお里や 若葉の内侍  
権太は我當さん。


また歌舞伎の見方では『艶姿女舞衣(はですがた おんなまいぎぬ)』の

秀太郎さんの解説で 所謂 素の私 青年で登場して
10分でお化粧をして 酒屋のお園のさわりを 勤めさせて頂きました。



また、ちがう年には 『夏祭浪花鑑』の団七の長町裏の立ち回りを 
やはり秀太郎さん解説で、勤めさせて頂きました。

この時の義平次は父 冠十郎でした。

(この時に歌舞伎の見方 別の演目で 二十四孝 八重垣姫を
 演じておられましたのが  現 門之助さん)



その後も猿翁旦那の巡業や、21世紀歌舞伎組の巡業で 
ここへは何回も訪れました。


猿翁旦那の『義経千本桜』の折には 鳥居前の四天王 今回と同じ亀井六郎。

右近さんの『勧進帳』では やはり四天王の片岡八郎。 

笑也さんの『弁天小僧』では 浜松屋の場面で 鳶頭、清吉。


右近さんの『夏祭浪花鑑』では こっぱの権。 


まだまだあるのですが、本当に 神戸文化ホールに 来させて頂いて

出演させて頂いて居る私は、大きいお役ばかり。 



役名だけをあげると 座頭級ですね(笑)


地方に於いて 新しく誕生した 設備の行き届いた会館もあり 
古くなってしまって 取り壊されてしまった会館もございます。


様々な所を見ても この神戸文化ホールは それこそ阪神大震災にも持ちこたえて 

未だに私たちを迎えてくれる会館でもあり とても嬉しいですし、

私の出世も見届けてくれている会館でもあります。(笑)


もちろん ここもいつかは、取り壊され なくなってしまうかも知れませんが 

それまでは 本当に大事に使わせて頂きたいと 思います。


今日もこの神戸文化ホールの 舞台に『熊谷陣屋』で四天王で出ておりますと、

この花道を お里のお役で 先代亀鶴さんの 弥助(実は平維盛)を 迎えていたなあ~。とか

団七で 花道で見得を切って居たなあ~。とか 感慨に耽ってしまいました(笑)


様々な私を見て来てくれた 神戸文化ホールのこの舞台。


改めて 今日の写真は やはりこの文化ホールの花道で 
見得を切らせて頂いて居る

『女伊達』の男伊達の写真です。


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明日は 姫路に伺います。