今日は公演はお休み。 朝は、ゆっくり 寝て お昼過ぎから行動!!


と、思いながらも いつものように7時過ぎには目が覚めまして、
(もう、これは習性と云うか どうしようもないですね・・笑)

で 朝食を頂きまして 暫しゆっくりと 思いながら天気予報を見ておりますと、
今日の京都は日中 35度超えの猛暑日との事、 これはいかん と
結局 午前中から行動開始となってしまいました。(笑)


今日は市バスの1日乗車券を買いまして まずは、三条京阪より金閣寺に
向かいました。

私、京都へは昔から 数えきれないほど仕事で来ておりますが、
京都でお休みと云うのは ほとんどございません、


以前、銀閣寺へ行ったくらいで、 金閣寺や京都三大祭り 
大文字五山の送り火など

実際は ナマで見た事が ございません


折角ですから 今日は金閣寺を見たいと思い 向かった訳です。


バスで、すぐそばまでは参りますが やはり結構な距離があり 
芝居の合間に来るのは 少し無理だったですね。


左大文字山のすぐそばから 入ります。
 

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入り口で 拝観料を払うと お札のような入場券を 貰い 順路に従うと
すぐに絵ハガキの様な 金閣寺があらわれます。


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実際の名前は 金閣 鹿苑寺(ろくおんじ)と云い、 

私たちが 代名詞のように見て使っている金閣は

舎利殿です。(お釈迦様 所謂 仏様の舎利〈お骨〉を祀ってある所。)



やはり世界遺産に認定されるだけの 迫力を持っております。


人が写りこまないように シャッターを押しておりますが、

実際はこんな感じ!!(笑)


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まるで 世界中の人たちが見学に来ているようで 朝早くに
行ったにもかかわらず それは凄い人でした。  


1時間程で 見学する事が出来ます。 

私も あまりの暑さに それくらいで 金閣寺を後にして 
バスに乗りました。 


で 帰ろうと思ったのですが、 そのバスが二条城前に停車しました。


そう云えば 二条城にも 来た事がないなあ と 思わず「途中下車の旅」(笑)



城門は 時代劇映画を思わせる造りでした。

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そして 二の丸御殿に入りました。

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ここから内部は 撮影禁止。 

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でも さすがに 立派なものですね。 

想像していたより はるかに大きな御殿でした。


本丸御殿は 二重の濠の中にあり 昔は天守閣もあったそうなのですが、

落雷によって 出火 消滅したそうです。



二の丸御殿の大広間などを見ると、 歌舞伎の一場面を思い出しました。



それは『二条城の清正』 先代中村吉右衛門さんや 
当代が得意としておられる 清正物のひとつですが 豊臣秀吉亡き後 
徳川家康が実権を握り 豊臣秀頼 以下を 臣下(家来)と 
見下すために 大阪城からこの 京都 二条城まで呼びつけます。

その護衛に 加藤清正が付き添い 淀川から船で やって来て 
ここの大広間で 対面する場面がございます。


お芝居はまだしも 実際 1600年の関ヶ原の合戦の後に 
二条城が造られ その後 秀頼との会見がここであったのは歴史上の事実。


大阪 冬 夏の陣の数年間の間に 豊臣は滅亡。


徳川に時代が移ったきっかけとなった場所が 現在も実存する事に 

大きな感動を覚えました。


そして 出雲の阿国によって歌舞伎が始まるのも 京都の四条河原で 
この時代。


さらに家康 秀頼が会見の 同じ大広間一の間に於いて
15代将軍 徳川慶喜が 大政奉還の宣言をした場所も この二条城。


7月のおもだかや襲名披露公演での『将軍江戸を去る』の時代であります。


徳川幕府の始まりと 終わりに 大きなかかわりのある二条城。



今まで 来られなかった私  なんで来なかったのだろうと 
逆に不思議に思いました。



今日は午前中に2か所の世界遺産をめぐりました。 


午後からは 現実に却って コインランドリーめぐりです。(笑)