以前 コメント欄に『将軍江戸を去る』は新歌舞伎ですか?
と云うご質問を頂きました。


コメント欄では概略のご説明は させて頂きましたが、 
ここで改めて 少し詳しく ご説明をさせて頂きます。


江戸時代、歌舞伎は現代劇でした。 

その当時の江戸の風俗 扮装でお芝居をするのですから
当たり前ですよね。(笑)



ですから、『義経千本桜』や『菅原伝授手習鑑』と云った 
平安時代や鎌倉時代が背景のお芝居も 風俗は江戸時代を反映したものでした。



その後、江戸幕府が倒れ 明治に入ってお芝居の様相もガラッと 変わりました。


今まで演じていた江戸のお芝居の舞台が東京となり 
人々は 断髪し、洋装になりました。

歌舞伎は一気に時代遅れな「古典の世界」となってしまったのです。



もちろん古典は古典で 良さはございます。


が、時代の流れと共に 新しいものが出来て参りました。

劇聖と云われた 九代目團十郎が 明治10年(1878)に
西南の役を扱った 『西南雲晴朝東風』と云う お芝居を作り 
ご自身は西条高盛(史実では西郷隆盛)という お役をされました。

このお芝居 大好評だったそうです。


これをご覧になった当時の政府の方々が 大いに喜んだそうです。

そりゃそうですよね。 

当時の閣僚たちは 薩摩 長州 土佐と云った 倒幕の人たちですから 
ご自身に縁のある演目は 喜ばれたに違いありません 


それらを扱ったお芝居が、この後も多く作られました。

 
江戸当時には、庶民のものと云う意識の強かった歌舞伎が、
明治に入り、意識が変わってきたのでしょうね。



この10年後に 井上薫邸での 明治天皇による天覧歌舞伎が
上演される運びとなるのです。


この時代 まだ劇場に天皇陛下をお迎えすると云う事が出来ませんでした。


なぜなら 歌舞伎はまだ江戸時代からの 庶民のものと云う感覚があり
能楽などに比べて 下に見られると云う流れから抜け出ていなかったからです。

でも この天覧歌舞伎で歌舞伎の地位がグッと高くなりました。

何といっても天皇陛下がご覧になったお芝居ですから・・・。



ここから ますます新しい歌舞伎が創られ始め 
真山青果 坪内逍遥 岡本綺堂 と云った劇作家が
誕生して 新歌舞伎が生まれることになります。


先月の『小栗栖の長兵衛』は岡本綺堂作。

今月の『将軍江戸を去る』は真山青果作。



従来の歌舞伎と新歌舞伎の違いは 先月の『小栗栖の長兵衛』や
今月の『将軍江戸を去る』に 見られるように、

新歌舞伎のほとんどが 台詞劇でして 普段の会話とほとんど変わらず 
音曲や見得や舞踊の要素がございません


お化粧も ほとんどリアルな顔で 隈取りや白塗り 赤っ面
と云う 色もございません


そして 時代背景に忠実に作品が出来上がっております。


ここに江戸時代の荒事や和事の「古典歌舞伎」に対して 
「新歌舞伎」と云う 新しいジャンルが誕生した訳です。



今現在 上演している『将軍江戸を去る』の舞台はちょうど江戸時代の
慶応4年のお話。

この次が明治に変わろうかと云う時代ですから、まさにその時にはリアルタイム。

明治末期 大正 昭和にかけて書かれました。
(初めに『江戸城総攻』が書かれ続いて『慶喜命乞』全部で三部作となっております。)


『小栗栖の長兵衛』は時代こそ 天正年間を扱っておりますが、
同じく新歌舞伎として書かれた作品。


両方とも面白い作品ではございます。


そして ここに目を付けた 猿翁旦那が作り上げたのが スーパー歌舞伎です。

逆に江戸時代の歌舞伎の原点に着目して 衣裳の豪華さを満喫し

本来のお化粧 つまり「女形は白く 悪役は隈取りを活かし」て
 
「舞踊的な要素」を取り入れ 早替り 宙乗り 大立ち回りもふんだんに入れ 

台詞は分かりやすい現代的な言葉を用いました。 


言葉は分かりやすく でも、衣装やお化粧は 歌舞伎らしく インパクトのある
そして どこか 古典に通じるもの。
歌舞伎独自の 演出法もふんだんに取り入れたもの!!!!

つまり、誰にでもわかる歌舞伎を目指したのが

『ヤマトタケル』に見られる スーパー歌舞伎です。 





今月の襲名披露公演。 

先月 今月に見られる『義経千本桜 四の切』『楼門五三桐』は古典歌舞伎。

『小栗栖の長兵衛』『将軍江戸を去る』は新歌舞伎 『黒塚』は新舞踊。

『ヤマトタケル』は言うに及ばずスーパー歌舞伎。


時代の流れを反映するこれらの作品が おそらく意図をもって並べられております。 

 
おもだかや襲名にふさわしい形ではないでしょうか。