突然ですが、ここで問題です。

明智光秀を殺したのは 誰でしょうか?

舞台を参考に考えて下さい。



先月の舞台を見られた方には 簡単すぎる問題でしょうか。

答えは 後ほど。







今月『楼門五三桐』では 猿翁旦那の舞台出演が 

連日お客様の熱く そして 暖かい ご声援を 頂いております。


今回のこの演目は 普段のやり方と違い 一門総出演となっております。


ですから 普段では 聞く事の出来ない台詞の数々が ございます。

幕開きに「あれ?」と思った方も たくさんおられたのではないでしょうか?



五右衛門と真柴久吉の台詞は それほど変化はございません。
ここは おおむね、普段通りのやりとりです。


ですが、例えば 幕開きの花道から登場した 久吉の家来の忍びの者。
普段は 出て参りません



彌十郎さん、門之助さん、右近さん、猿弥さん、月乃助さん、弘太郎さん
それぞれが 今どう云った状況であるのかを 説明しております。


「あれから 指折り数うれば」

「八年ぶりの、」

「御出馬なるか。」


この台詞は 舞台裏で控えておりましても 聞いていて
旦那の復活の舞台を思いまして 涙腺の緩みそうになります。



御見物の皆様の中にも 同じように思われた方もおられるでしょう。


ですが(と云うのも変なのですが・・・・)もう一か所ぜひ聞いて
「え???」と思ってほしいセリフがあるのです。



それは 彼ら忍びの者が云う台詞の中に 

「山崎の合戦に於いて 明智光秀を破った後、

 久吉(秀吉)が旅僧に化けて 敗送中の光秀を ある村で討った!!」

と あるのです。





ちょいとした遊び心ですが・・・。

皆様 お気づきでしたか? 



先月 明智光秀を討ったお話を舞台で上演しておりました。

そう 『小栗栖の長兵衛』 中車さん扮する 長兵衛が光秀を討って 
一躍 村の英雄に!!

そして、秀吉の家来の堀尾茂助吉晴が 討ったものを探しにまいります。



今月はその久吉(秀吉)が実は 身をやつして 光秀を討った後に 
ここへ五右衛門を捕えに来て やがて天下を取ると云う 台詞。 


長兵衛=秀吉??


さすがに そんな事はございませんが・・・(笑)


同じく 「光秀を討った人物」が出て参ります。




『楼門五三桐』短い狂言ですが 遊びこころが ふんだんに
ちりばめられております。


どうかご観劇の折には 花道の忍びの台詞も 
耳を凝らして お聞きくださいませ。




ちなみに 山崎の合戦で光秀が討たれのは 天正10年(1582)6月13日


天正18年(1590)8月1日に 徳川家康が江戸に入っております。

(これは 『将軍江戸を去る』の台詞で ご確認ください)






・・・・・まさにこれも「八年後」・・・・・



今月の二つの狂言。そして 先月の狂言。

おそらく偶然の部分がほとんどでしょうが どこか 必然を感じてしまう 
そんな襲名の二ヵ月でございます。