突然ですが・・・『朝臣』と書きまして 「まえつぎみ」 と読みます。


これが 源頼光の家来で使いますと 同じ 朝臣が「あそん」 となります。
「あそみ」 と読む場合もあるそうです。


歴史的には「あそん」が多く使われているでしょうか?
「まえつぎみ」となりますと、どちらかと云うと より古い時代の
読み方のような気が致します。


では 朝臣とはなんでしょうか??


684年 天武天皇により制定されました 八色の姓(やくさのかばね)で 
新たに制定された姓(かばね)で 真人(まひと)に次いで 
皇族出身以外の臣下の中では、一番上の地位 と あります。



ほぼ同じ時期に それぞれの「人」に対しての 位付けも行われております。
どちらかと云いますと もともとは「家」もしくは「名字」に対して、
位をつけたものだと 私は理解しておりますが・・・あってます?(笑)
(ざっくりですので、細かい突っ込みは・・・ご容赦ください)



こう書いてしまいますと・・・実は矛盾しております(苦笑)
「朝臣」という地位が出来ましたのは 『ヤマトタケル』よりもずっと後(笑)


ま、詳しい事は 省きまして『ヤマトタケル』という物語の中では、
「朝臣」という漢字があてられているのです。


もともと、「まえつぎみ」という呼び方には色々な漢字が当てられます。
帝の前に 伺候して 政治をおこなう人 という 位置づけでしょうか。



ちなみに 私は「おおまえつぎみ」と云われておりますが
漢字で書きますと「新大臣」。

また「(前)老大臣」の寿猿さん共々「おとど」とも 呼ばれておりまして
この場合の漢字を当てはめるとすると「大臣」でしょうか。


このあたり 実は 色々な呼び方をされておりますので、
うっかり聞いておりますと 誰の事??と云う感じになってしまいますね。


一応、この物語の中で無理やり整理してみますと(笑)


何人もの「朝臣(まえつぎみ)」がおりまして そのトップが
「大臣(おおまえつぎみ=おとど)」なんでしょうね。

寿猿さんの「(老)大臣」のあとに私が「(新)大臣」



『ヤマトタケル』の中で 小碓の命(ヤマトタケル)が 伊勢の能褒野において 
没した後 ひつぎの皇子(根子の命)の死亡によって ワカタケルが
ひつぎの皇子となります。 

タケヒコは その朝臣(まえつぎみ)として 仕え祀れと帝の使者が参ります。

(多分この後は 私の演じます「新大臣」の強力なライバルとして
 台頭して行く事でしょう)


この当時の 小碓命の父は12代 景行天皇。 

ひつぎの皇子は 次の天皇の地位を約束される訳ですから、皇太子と云う事になります。
そのひつぎの皇子のワカタケルは 後の14代 仲哀天皇となります。  


『ヤマトタケル』は、やはりなにか、壮大なロマンを感じさせますね。



このお芝居に登場する 朝臣は四人。
多分、一幕では 私も朝臣の一人のはずなのですが 出て参りません。
(初演では 後の新大臣も 朝臣として出ておりました)


その朝臣のお二人。


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澤五郎さんと笑三さん 

いつもにこやかな お二人ですが、彼らの出身は共に熊本県。
先日 集中豪雨にみまわれたところです。 

唯、お二人の御親族には それ程の被害はなかったそうですが、

大和の国の朝臣を演じながら  熊襲(九州)の国を心配している 
二人でもあります。

これ以上の 被害の無い事を 心から祈ります。